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   四万十川防衛試論 

                             

           (本稿は、脱稿をしたのが昭和60年11月のことですが、それを今回<「U」のページ>に入れるため、

                これより(平成19年3月2日以降)その時々に、ふたたび草することにします。

                    なお本文は作者に無断の転載・複製等を禁じます)




 
       第1章 古代への道

       第2章 母なる川の歌

       第3章 この花園を乱すのは

       第4章 川のほとりで

       第5章 四万十川への視座

       第6章 あけぼのー縄文

       第7章 あれぶのー弥生

       第8章 <原代> その再生と共生の論理

       第9章 文明の波を超えてー水と太陽の里

       第10章 水・流れ

       第11章 出口を求めて                

     

     

いったい近代文明はどこへ行くのだろうか。
人間は自然を征服することによって、むしろ自分の生ける地盤を失ってしまうのではないか。
生態系の人間による破壊がどんな恐ろしい運命を生むのか。
二十世紀の初めに一部の思想家によって予言された世界の運命は、
二十世紀後半に徐々にその恐るべき姿を現わしはじめたように思われる。
                      (梅原猛著『日本の深層文化』より
四万十川から宮内の田園を望む

   (中流域風景のひとこま)

第1章 古代への道


   1、古代への道

   四国第二の大河・四万十川は、古代四国西南地域の、いわばシルクロードであった。

   四国のあけぼのは、川のシルクロードであった。

   太平洋に面する土佐湾の西南端近くを河口として、四国山脈の麓まで延々と蛇行しながら遡行する、川のシルクロードから、その一つが始まった。

   山々に囲まれた島の地の、古代の道は大河であった。

   それは縄文から弥生にかけて、人やモノの行き交う古代経済の道であり、信仰の道であり、つまり古代文化を運ぶ道であったと思われる。

   四万十川流域の遺跡の数々は、そのことを、遥かに語っているようである。

   ならば、四万十川自体とそのほとりは全て、生ける稀有な文化財そのものである。

   「自然」の存続した島・四国。南国の山あいに抱かれた自然度の強いままの西南の地。

   そこを流れ養う四万十川を、流域の民は「おおかわ」と呼び親しんだ。

   このような古代の道・四万十川は、同時に私たちを清浄な古代に誘う道でもある。             

                                                                      (07・3・2)

  

   2、川の歌

    南国の陽光を川面いっぱいに受け、あふれるばかりの緑に囲まれ、澄み透る水を湛えて流れる四万十川。

    その悠久の流れは、この流域に育つ子供たちの心の奥深く、沁み込んで離れない。

    何もかも包み込むような、 包括的な母性の「大川」。

    時々のすべてを鏡のように映して出しては流れ、映し出しては流れ去る永続的な運動体。

    この「自然」に寄せる想いを、川の流れに沿って、いくつかの「校歌」に拾ってみたい。 




            ● 東津野村立船戸小学校


                 不入(いらず)の 峯の気をうけて   伸びゆく ぼくら わたしたち 

                 この世に光り輝けと   みがく明るい船戸校



                 中村川のせせらぎに   高き香りの青らんは  

                 強き心をしめすのだ   ちかいが固し船戸校

                                                (注1 不入山、は四万十川の源流とされる)

                                                (注2 中村川、は四万十川最上流の川の名前)




             ● 大野見村立大野見小学校

 
                  野は広々と千草咲き   四万十川は流れます

                  若鮎のようにたくましく  強いからだで今日もまた

                  明るく元気にはばたこう   大野見小の子供たち

 

 
 
            ● 窪川町立米奥小学校


                  松葉の川よ  水の歌    たゆまず清く伸びる子ら

                  みんな仲良く手をとって   たのしい米奥小学校

                                                   (注 松葉の川、は四万十川上流の松葉川の意)




             ● 窪川町立丸山小学校


                  水清冽の渡川   風を写して永久に

                  不断の流れそれのごと   歴史に映ゆるわが母校

                  いざ讃えん丸山健児  我らが誇り

                                                  (注 渡川、は四万十川の別称で、一名一級河川渡り側)





            ● 窪川町立窪川中学校

                 歴史を秘めし四万十の   流れの岸に剛健の

                 誠ひとすじ悔ゆるなき   日々を励めば清新の

                 抱負ゆたかに明日を呼ぶ  われらが窪川中学校



   

           ● 高知県立大正高等学校 


                星霜ここに四万十の  清き流れはたゆるなく

                いま大土佐の山林に  自由の華は咲きつづく

                平和の集い  ああ大正高校




           ● 十和村「四万十川祭り」で詠まれる詩


 
                青き山すそ   母なる四万十川       

                堂々と岩をかむ  父なる四万十川

                うなぎすむこの淵で兄は泳いだ   

                あゆのぼるあのせせらぎで姉は歌った

                弟よ  姉よ   そして友よ   

                ほこらかに語れ ふるさとの川  四万十を




            ● 西土佐村・西土佐中学校


                  文化培う四万十の   流れの岸に剛健の

                  生命鍛えてたくましく  独立自立の道をゆく

                  われらが西土佐中学校   ああ清純の血はおどる




            ● 中村市立中村中学校


                   紅葉はもゆる古城山    秋は虫の音すみにけり

                   行く雲白き校庭に     ああ楽しや吾我の母校

                   三年の月日ひたすら学ぶ   誇りは長き四万十川

                   川にさばしる鮎のごと     かぎりも知らぬすがしさを

                   たたえ歌わん 中村州学校



              ● 高知県立中村高等学校


                     雲うつす四万十の青    古城山緑ぞせまる

                     美しき天の下なる     学び舎に光りかがやく  

                     ああ 中村     われらが母校  中村

                  

 
     

         (以上、流域の校歌に「四万十川」の意が込められた歌詞のフレーズを幾つか拾い集めてみた。     

          が、各校は本稿の草稿執筆時点(昭和60年)の市町村名立であり、平成の合併後、関係市町村はすべて自治体の名称変更がなされいる)


       四万十川流域図

    1990年発行 高知市民図書館
ー四国の河川ー『四万十川(しぜん・いきもの』
     同書掲載の地図より

       源流のある「いらずやま」(不入山)の南麓、そこに「中村」という小さな集落がある。

       四万十川は、その集落名をとって名づけた「中村川」から始まり、中上流域に至って「松葉川」の流れとなり、

       やがてもう一つの幹線である「梼原川」を主として大小の支流が合流して、四万十川となる。

       この川辺に住む人々は「大川」と呼ぶ慣わしがあった。それを象徴するような渡川という名も持つ。公的名称は一級河川・渡川である。

       この川の流れは、高岡郡の西部を通り、幡多郡の中村平野へと曲流・蛇行しながら土佐湾の河口に至る。

                                                              (07・3・5)

       奇しくも、源流と河口は、200キロ近い流れを経て、同じ地名を持つ土地に端を発し、流れ着くのである。

       その流れに、流域の子供たちは、ふるさとの歴史と文化とを感じとり、未来への夢を抱き、育まれてきたのである。

       その流れは今なお、遠き原始と、そして遥かな展望を流域の人々に与え続けている。

     




    3、この花園を荒らすのは


      周囲が動いているときに止まっているのは、相対的に見れば、止まっていることが動いていることである。

      日本列島の島・四国の個性はそこにあった。

      昭和60年の今、本四架橋が実現。新しい時代に入ろうとしている。

      その周囲と共に、四国はまさに動こうとしている。それが一体何を意味するのか。そしてそれは、如何なることを招来するのであろうか。

     

      戦後の国土開発と経済の高度成長の歴史から言えば、概して産業主義的な開発と自然生態系の保全と育成とは、二律背反の結果を齎す。

      それが「近代化」が醸し出す現実の様相である。

      もはや、「近代化」の時代ではない。

      だのになぜ、近代化の意味する「没個性か」への道を後追いするのか。


      原子力、水力を問わず、その推進の舞台となる地域、そのいずれもが、経済的に困窮した僻地の山村漁村である。

      そこに、エネルギー供給基地に誘導する開発対象候補の地域への餌をばら撒くのであった。

      これらの、その動きは過疎化、そしてエネルギー基地化の図式を思わせるアンチ・ヒューマニズムの政策の歴史的路線である。

 


     (この昭和60年(1985年)の草稿を入力している現在(2007年4月)、高知県窪川原発騒動の図式が、22年目にして再び、同県の最東端の小

      さな町・東洋町で展開されいる。

     それは高レベル放射性廃棄物最終処分施設設置への文献調査問題である。

     町長の独断と見える同施設の誘致へ向けた行動。同県に住む私たちには、それはまるで地下のマグマが暴発したかのように思える。

     要は、国の安全神話を飲み込んで莫大な交付金を目当てにする過疎の町。

     今日の財政に悩む過疎高齢社会を抱える町の鼻先に、巨額の餌をぶらつかせる卑劣極まりないやり方がそれである。

     高知県の橋本知事は

     「一万年、二万年後の人類に危険を残していくというような科学技術がいいのかどうかを、もう一度考えないといけない」と発言している。

     そもそも核は、人間レベルの時間と空間を超える性質を本来持っているものである。

     現在進行形においても制御し難い科学技術を実験的に行うことは人道的にしてはならないことである。

     そうでなくても地球上の「人間圏」は自壊寸前だと指摘して、人類の行方に警告を発する比較惑星学者もいる。

     だが、どうせそうなら貧乏自治体にお金は先に頂くというのであれば、あまりにも無責任であり、かつそれは未来への恐るべき犯罪となろう。 

     さらに問題は、危惧される放射能の影響は当然市町村などという人為的な境界線に関係ない。その危険負担はそのエリアに限ったものではない。

     現行法はその点でも根本的に改めなくてはならないものである。

     現状を見るとき、エネルギー問題にしろ、経済問題にしろ、国土問題にしろ、私はすべて出直すことだと思う。)


 
     行政はこれまで、過疎対策で中央に向う縦の道路をつくったが、それは結局過疎促進の道となった。

     地域開発の起爆剤にエネルギー基地を作ってそれは結局何の起爆剤にらるだろう。

     その前に、地域開発とは一体何だろう。

     昭和60年代の地域開発は(この時点では、これからという意味)は、これまでの経済合理主義の単なる延長線上にあってはならない筈だ。

     おそらく従来の「開発」yという概念では律し切れない、人間規模の背だけにあった技術、人間に優しい科学技術や文化が求められよう。

     それは、保全・循環・再生の論理構造をもつ「地域の人間化」の方向である。



     ともあれ、この地域に関する限り「ダムなき清流」は、開発圧に抗した住民の選択であったことは紛れもない事実である。

     ところが、四万十川は、その清流の故を持って今後は「観光」という名の自然循環系を乱す開発の波が打ち寄せている。

     こうして四万十川のほとりにはも「ふるさを丸ごと売ります」的コマーシャリズムがやってきた。

     産業主義の枠外で始めて存続し得たものを、産業主義が終焉の兆しを見せているにもかかわらず、その枠内に組み込もうとすることは滑稽である。

     それを、大仰にしかも平然と行う矛盾は、詭弁の君臨した現代にのみ姿を現わす「逆さまの構図」ではないのか。

     それは「現代」が属性として宿す、自己矛盾の顕著な反映としか言いようのない「悲しむべき喜劇」である。