復路の道標(晩節の勉学ノート)

見出し  序章

                 2章

                 3章

                 4章

                 5章 


  序章  はじめのことわり

   わたしは、おそらく人一倍、雑念・妄念が多いと思う。

   それを少しでも、削り取り、自己純化を図りたいので、わたしは書物を読む。

   現象的表層部分の本や雑談や世事には、ほとほと疲れる。

   要するに、そんなことで、おのずから、純化能力のある精神世界の事柄を扱ったものが興味深いのだ。

   そんなものを読んでいるときだけでも、自分のなかが、楽しく純化しているようだ。

   その傾向は年と伴に段々と強くなるようだ。

   その作用をもっているものでなくては、頭にストレートに入ってこない。

   そんななか、若き日に見た、精神的な彼方の風景を、いまさらのように追い求めている自分がある。

   これは、わが復路の道標を求め歩む取り留めのないような日々の、つまり晩節の任意な勉学覚書である。

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  2章

  「アラヤ識」と「タオ」 (2006年12月30日草稿・2007年1月13日入力)        見出 しに帰る

 

  いま、わたしは、この年になって「井筒俊彦の哲学世界」に深く入り込んでいる。

  氏の、哲学詩のようなリズムというか、人間の内奥に次々に深まっていく波長-ーー

その論理展開の妙なる調べ。

  そこに、すっかり、はまっている。

  井筒俊彦晩年の著書・『意識の形而上学』を私はゆっくりと読んでいるが、これは大乗起信論

の哲学的考察である。

  ここで説かれている「アラヤ識」の次元ほど、どこまでも広く,

分け入れば果てしない世界は、ないのではないだろうか。

  意識と存在の未分節態(A領域)を「心真如」といい、意識と存在の分節態(B領域)を「心生滅」というが、

この「A」と「B」が相互に浸透する交換性を作用させている「M」という領域で、「A」が「B」に転位し、

「B」が「A]に環帰しようとする。その「M]領域こそ、大乗起信論の「非一非異」の境位であるという。

 

 「A]領域と「B」領域の両者の本然的相互転換の行われている場所が、「アラヤ識」であり、

 この「M」領域の形相的意味分節のポトスについて、井筒氏は次のように書く。

 「全ての形相的意味分節単位は、それぞれ存在カテゴリーであり、存在元型であって、 <アラヤ識>は、

それら存在カテゴリー群の網羅的全一的網目構造なのである。 現象的存在分節の根源的形態が、

この先験的意味分節のシステムによって決定されているのだ。現象的<有>の世界(=B)の一切は、

 この元型的意味分節の網目を透過することによって、次々に型作られていく。」 

 氏は、、このように,ありありと描くように、目に見えざる世界を論じながら提示する。

 そこに、潜在していたものが、まるで強力な光線を浴びるがごとく、輝きをもって現れてくる。

 わたしは、この深部、微妙に交感する世界、名づけようにない「M」領域の{アラヤ識」の世界に、

 老子の「タオ」を重ねるのだ。

 加島祥造氏は、「老子」を語りかける言葉で訳し、現代に蘇えらせる。

 「ーーーだが、内側に目を向けるときには、あるがままの今の自分をうけいれることだ。

  すると、そこに本当の豊かさがみつかる。

  その時こそ、自分のセンターにあるのは、タオを受け継ぐ、自然のエナジーなのだと知る。

  そのエナジーは、永遠に伝わっていくものなのだ。

  それが、永遠の今であり、それは君の肉体が死んでも、

  滅びないものなんだよーーー」

 

  「タオ」という未分節態は、畢竟「アラヤ識」のA領域なのではないだろうか。

  加島氏は、続ける。

  「内に至る道は、無名への道、知恵の世界への道。その道は”永遠の今”につながる。

  その命は滅びない。老子の思想の骨格です」と。

  やはり、「タオ」は、「心真如」の「心生滅」の世界と一つであり、

  「心真如」は「タオ」の世界として現に実在するのだと思う。

  3章

  「ブレーク」と「老子」(2006年大晦日草稿・2007年1月14日入力)           見 出しに帰る

  ふと、目に留まった言葉がある。

  「永劫は、生じては消える現象社会を愛している」

  

  ウイリアム・ブレークのコトバだ。

  この永劫とは、井筒哲学にいう「心真如」の「不生滅」、

  意識と存在の未文節態である「A領域」ではないのか。

  そして現象社会は、「心生滅」の境界、つまり意識と存在の分節態としての「B領域]。

  この「A」は、その「B」を愛するというのだ。

  不生滅である永劫は、生滅する生々流転の現象界を愛していると、

  ブレークは私たちに告げる。この感覚は、『起信論』に呼応しているのではないか。

  ブレークもまた、

  A領域とB領域の中間地帯にあって、両者のチャンネル・チェンヂするキーポイント、

  両者交流の透過地点としてのM領域を見ていたのではないか。

  「永劫」の未文節態は、自己分節態である「現象社会」の愛の眼差しを注ぐーー。

  

  「このタオの自然、タオの創生の力は、実に深くて、実に遠くまでゆきわたっている。だから

  私たちはもう一度、

  この大きなタオの働きに戻って、

  そのエナジーに従ってみることだ。そうすれば、

  世界はいつか、大きな調和の途へ向うだろう」

 「−一方、みずみずしく、柔らかく、弱くて繊細なものは、まさに命の仲間なのだ。

  剣も、ただ固く鍛えたものは、折れやすい。

  木も、堅くつっ立ったものは、風で折れる。

  もともと強くて、こわばったものは、下にいて根の役をすべきなんだ。

  しなやかで、柔らかで、弱くて繊細なものこそ

  上の地位を占めて、花を咲かせるべきなのだ。

  以上ふたつの引用は、詩人・加島祥造訳の『タオー老子』の一節だが、

  私には老子の、この訳文が、「M]−「A]の領域を活写しているように思えてならない。

  4章

  「空海」と「プラトン」(2006年12月27日メモ・2007年1月14日入力)          見出 しに帰る

  

  常々、わたしの秘かに予感的に思っていたことだがーー

  それが、次の対話によって確信されたようの思うのだ。

  その喜びを持って、次の言葉を引用させていただきたい。

  それは、東洋思想の泰斗井筒俊彦氏が作家司馬遼太郎と対談した際の井筒発言である。

  ーーー

  真言密教の金剛界マンダラの(成身会の)「不生無碍常喩伽」的存在地平の構造なんか、

  プラトンのイデア哲学やピタゴラスの世界像を持ってくることによって、初めてその独自の構造的

  整合性の成立が哲学的に可能になる、と私は思います。

  −−−

  空海の真言密教とプラトニズムとのあいだには、

  思想構造上のメトニミイ関係が成立するだけじやなくて、

  実際に歴史的にギリシャ思想の影響もあるじゃないか考えているんです。

  ーーー

 空海はギリシャを抜きにしては、ちよっと考えにくいようですね。

 

 井筒哲学、そこに湧き出て止まない思想、次元のジャンプするような直覚的な思想回路こそが、

 いまの私の求めてやまない思想回路なのだ。

                                         (2007年1月15日)

 

 

  5章 

 「井筒俊彦の世帯」                                          見出 しに帰る    

 そこはいくら掘り起こしても、起こしきれない深さを湛えた思想的磁場である。

 氏は大正3年生まれ。専攻は東洋哲学と言語哲学。

 ライフ・テーマは「東洋哲学野の共時論的構造化」。

 氏はそこから、広大に開けた哲学思想の天地を、研ぎ澄まされた宝剣をもって切り開いてゆく。

 唯識哲学、華厳哲学、天台哲学、

 ギリシャ神秘哲学、イスラム哲学、プラトニズム、

 老荘思想、道教・儒教哲学、

 さらに到達する真言哲学の高峰。

 これらの共時性的思想構造の探求と実践的求道の哲学行路ーー。

そこに,だんだんに啓かれる神秘的な内奥の扉。所狭しと伸びてゆく視野の広大無辺さ。

それは司馬遼太郎をして、20人分の天才性と言わしめた、隠れた稀有の人物。

わたしにとっての氏は、まさに予見的哲学者であり、かつ哲学詩人である。

そして

あえて言わして貰えば、神に愛でられた人の、精神波長と内的な深部のリズムが湧き出て、

神秘性に至り、そこから説く数々の作品群。  

 ところで

 わたしは、この頃、よく挨拶代わりに聴く言葉は、「いま、何をしていますか」である。

 返事に窮するが、「やり残した勉強をボチボチやってます」と答える。

 そして「勉強したことは自分のホームページにかいております」とも。

 わたしには、頭も手も、まるで届かない世界であろうと、そこは自分流にやるしかない。

 ただ、何となく、正法眼蔵の世界や光明主義の世界が、少しだが一挙に解りだした、

 垣間見え出した、そんな感じである。

 井筒俊彦著『意識と本質』の「後書」で書かれている文言を拾わせて頂くと、

     「ここ10年ばかり、しきりに東洋思想とか東洋哲学とかいうことを考えるようになった。」

     「この際、自分のこの哲学的実存の根源に立ち戻って、そこから新しく出発しなおしてみようーー

      希望とも決意ともつかぬそんな思いが私の胸中を去来するようになってから、はや十年。」

    「私は、共時的構造化ということを考えてみた。この操作は、ごく簡単に言えば、東洋の主要な

     哲学的諸伝統を、現在の時点で、一つの理念的平面に移し、空間的に配置しなおすこと

     から始まる。」

    「こうして出来上がる思想空間は、当然、多極的重層的構造をもつだろう。そして、この多極的

     重層的構造体を逆に分析することによって、我々はその内部から、幾つかの基本的思想パターン

     を取り出してくることができるだろう。それは、東洋人の哲学的思惟を深層的に規制する根源的

     パターンであるはずだ。」

    「厳格な学問的研究も、それはそれで、勿論、大切だが、さらにもう一歩進んで、東洋思想の

     諸伝統を我々自身の意識に内面化し、そこにおのずから成立する東洋哲学の磁場のなかか

     ら、新しい哲学を世界的コンテクストにおいて生み出していく努力をし始めなければならない時

     期に、今、我々は来ているのではないか、と私は思う。」

 氏は今から二十五年前に、このように、コトバを刻まれている。如何に予見的であることか。

 一九八二年(昭和五十七年)の夏のことである。

                                           (2007年1月21日)

                           

以下に引用するちょっと類を見ない言葉は、


わたしたちに、魂の瑞々しさ、想念や発想の源泉を思わせる。



 井筒氏は、これを後日、若さ故の文章と述懐されているが、


 私はここに流れゆく波長に、直感的な予見性と、魂の舞踏を観ずる。



 この精神の新開地は、日本の戦後空間の、無限観をも宿す未来への分厚いページを予感させる初々しさでもあった、

と思う。 


 


 時は、1947年。

 国内では、第一回特別国会が開催された。教育基本法、・学校教育法が公布され、六三三制が始まる。

日本ペンクラブも再建される、そんな時節だ。

 当時、井筒俊彦は33歳であった。氏の若き日に映ずる心の刻印文だ。



 そのとき遥かな古代ギリシャ、それもソクラテス以前期に注がれていた予見の人の目は


同時に、価値観が一八〇度転した新生日本のという国を情感的に全身で捉えていた。




 それは次の文章に結晶している。



             ***********



 「未曾有の動乱時代、大変革の時代が釆た。


 滔々と流れて止むことを知らぬ混濁の前に、古いものは次々に壊滅し去り、いままさに


波浪に呑まれようとする人々の悲愴な叫喚と慟哭が立ちのぼった。


 しかしながら、この慌しい紛擾の騒音を貫いて、高らかに、清らかに、新しい世紀の到来を祝う黎明の鐘声が、

雄大な余韻も遠く響き渡っていたこともまた事実である。


 若々しい創造力に沸きたつギリシア民族にとっては、旧秩序の壊滅の苦悩は直ちに新しい秩序出生への陣痛なので

あった」

と氏は、このようにギリシャに託して、戦後という”時代のいのち”を書いていると、わたしは受け取るのだ。

 そしてさらに、地球的クライスの「今ここ」をも。              

                                                   (宇久 08/3/1)

 



               ***********




                   (以下、引用  宇久 08/1/24〜3/1)






  『神秘哲学』 井筒俊彦著


   「自然神秘主義とギリシャ」  昭和二十二年八月一日覚書                  


   



   自然神秘主義の主体 ーー書き出しの文からーー



悠貌たる過去幾千年の時の彼方から、四周の雑音を高らかに圧しつつある巨大なものの


声がこの胸に通って来る。



 耳を聾せんばかりに響き寄せるこの不思議な音声は、多くの人々の胸の琴線にいささか


も触れることもなく、ただいたずらにその傍らを流れ去ってしまうらしい。



 人は冷然としてこれを聞きながし、その音にまったく無感覚なもののように見える。



 しかしながら、この怖るべき音声を己が胸中の絃ひと筋に受けて、これに相応え相和し


っつ、鳴響する魂もあるのだ。



 私は十数年前はじめて識った激しい心の鼓動を今ふたたびここに繰り返しつつ、この宇


宙的音声の悪に充ちた恐怖について語りたい。



 かつてディールスの蒐集したソクラテス以前期断片集を通読した最初の日から、まだ何


事ともさだかには識別し難いままに、そこに童める妖気のごときものが私の心を固く呪縛


した。



 私は本書に於いて、この妖気の本体を究明しその淵源を最後まで辿ってみたいと思う。


 ソクラテス以前期の哲人達の断片的言句に言い知れぬ霊気が揺曳し、そこから巨大なる


音響が連出して来るように思われるのは、彼らの思想の根底に一種独特な体験のなまなま


しい生命が伏在しているからである。



 すべての根源に一つの宇宙的体験があって、その体験の虚空のような形而上的源底から


あらゆるものが生み出されて来るのである。





     ********




 ソクラテス以前期の哲人たちの断片的言句に言い知れぬ霊気が揺曳し、そこから巨大な


る音響が迸出して来るように思われるのは、彼らの思想の根底に一種独特な体験のなまな


ましい生命が伏在してるからである。



 すべての根源に一つの宇宙的体験があって、その体験の虚空のような形而上的源底から


あらゆるものが生み出されて来るのである。




      ********




 彼らについては「はじめに思想があった」のではなくて、「はじめに直感があった」の


である。あらゆることのはじめに有無を言わさなぬ絶対的体験があったのである。私は



この根本体験を西洋神秘思想史の伝統に従って「自然神秘主義」と呼ぶことにしたい。 


              



      *********




 「万物は神々に満ちている」というタレスの言葉がアリストテレスによって伝えられて


いるが、ソクラテス以前期思想家たちの宇宙が神々に満ちていたように、彼らの言葉の断


片もまた神々と精霊の気に満ちている。












 オリュンポスの春翳



 雲表に聳え立つオリンボスの山頂が、永えの春光に明るく照り映えるあたり、華やかな


饗宴にうち興じる美しい神々の間から天地をどよもす哄笑の声がほがらかに湧き上がる


 


 オリュンボスの神々−−



 それは真にギリシア的とよばれるに適わしい久遠美と青春に輝く芸術的神々であった。


 ホメロスによって描かれたオリュンボス神族の成立は、まさにギリシア精神の新しい世


紀を劃するものであった。闇は去り、光は生れた。



 イリアス・オデュセイアの生誕はただにギリシア文学史上の一事件であるにとどまらず


、それは実に稀有な運命をギリシア精神に予言する黎明の鐘声であった。



 今日、我々はこれを古代ギリシアが経験した一種の宗教改革として把握することを知っ


ている。



 宗教的にはそれは、ギリシア諸民族中、最も繊細優雅な美的感覚と、覇気満々たる進歩


的知性をあわせ有したイオニア貴族階級によって果敢に断行見た地方神霊崇崇拝の浄化で


あり醇化であった。



    ************




 ーー叙事詩的宗教に、まはや進取的種族は満足してはいなかった。彼らの胸には新しい


ものへの要求が萌し、そこに新しい精神傾向が芽生えた。この新しい傾向からイオニアの


叙情詩が生まれて、叙事詩をその輝く王座から駆逐し、ついにその究極するところ、オリ


ュンポスの神々を傍若無人に罵倒哄笑して活然たるイオニアの自然学者達の誕生に至るの


である。この新しい精神傾向とは、一言をもってすれば「直接に現実へ」ということにほ


かならなかった。



 こうしてふたたび、清澄なホメロスの世界の空に、あやしい暗雲が去来し、明るいギリ


シャの昼は翳りだす。



 ホメロスの世界ーー



 それは、輝かしい地中海的昼の世界、透明に冴え渡った大気の中にあらわれるものが光


を浴び、光に充ちてある美しい明澄と諧調の世界である。





     


 


 +++



 このようにギリシア抒情詩は、最初期から本質的に現実的であり、それの成立の根源に


は、現実への主題の転位とでもいうべきものが伏在するのであるが、カッリノスやテユル


タイオスに於いては、現実はまだ集団的であり、国家的である。ところが今、これをもう


一度転位させて、国家的観点から個人的観点に移すとき、はじめて古典的ギリシア抒情詩


が成立するのである。



 この二重の転位を経ることによって叙事詩の物語的、客観的世界は現実的で個人的な抒


情詩の世界に変わる明確に自覚された「我」と、四方からこれを取り巻いて蕗々と押し迫


る現実との問に生起する緊張が、直ちに個性豊かな詩句の断続となって表現される。



 +++










 知性の黎明



抑えがたい現実の魅惑に牽かれ、具体的人生の流れに身を浸そうとして、人は永遠の光


きよらかに澄み渡るオリュソボスの高峯を後に、か黒い現実の大地に下りて来る。



 そこには生々しい現実生活の波が渦捲いている。そして現実は不気味で怖ろしく、この


世界は暗い。あらゆるものは幽冥の闇に沈み、ここからはもうホメロス的清澄の光まぶし


い青空は見られない。美しく輝くホメロスの世界は、現実の姿ではなく、それは遠い過去


の彼方に流れ去った人類の「黄金時代」であり、もはやかえらぬ夢にすぎない。



 今や世は人類五時代の最後、「鉄の時代」に入り、人間の現実生活は絶望的惑乱の相を


呈している。はて知らぬ禍患が人生を支配し、正義は失われて暴力がこれに代り、人は荒


蕪の地から僅かな食物をもぎ取るために、夜となく昼となく苛酷な労苦に疲弊したその身


をまかせねばならぬ。




   地はくさぐさの禍いに充ち、海もまた充つ。



   夜となく昼となく、人これを求めざるに様々の病患は



   無数の苦悩をば、おのずから、黙々として



   人々のもとに運び来る-----------




 というへシオドスの歌声に、早くも人は後に来るべきギリシア抒情詩人達の、あの特徴


ある「生の欺き」−−ギリシアの憂愁の調べを聞きとらないであろうか。



 しかもなお、この暗鬱な現実に、ヘシオドスは敢然として正面からたち向おうとする。


 彼がひたすら求めるものは現実であり、真実であって、断じて夢ではないからである。


 いかほど夢が美しくあろうとも、そしてどれほど現実が陪く悲しくあろうとも、彼は現


実への途を択ぶ。



 遠い人類の過去に消えた黄金時代に恋々として、空しい夢想に耽溺するには生の現実は


あまりに峻厳酷烈である。



 人はむしろ大胆率直に現実を直視し、現実界の潤濁の由って来るところを冷静に考究し


、もって人間生活を正しい道に導かねばならぬ。



 ヘシオドスのこのような予言的情熱と、現実主義的態度とはギリシア精神に於ける一つ


の新しい時代の出現を意味するのである。











 新しい世紀   個人的我の自覚



新しき時代、それは驚天動地の混乱と破壊とを伴ってギリシア全土に襲って釆た。



時は西暦紀元前七世紀から六世紀にわたり、ギリシア本土たると沿海植民地たると海上



の島嶼たるとを問わず、混乱の暴力は、当るべからざる飄風をなして人々の生活を根抵か


ら震蕩し、ヘラスの天地を北から南へ、ぼうぼうと吹き渡って行った。



 未曾有の動乱時代、大変革の時代が釆た。



 滔々と流れて止むことを知らぬ混濁の前に、古いものは次々に壊滅し去り、いままさに


波浪に呑まれようとする人々の悲愴な叫喚と慟哭が立ちのぼった。



 しかしながら、この慌しい紛擾の騒音を貫いて、高らかに、清らかに、新しい世紀の到


来を祝う黎明の鐘声が、雄大な余韻も遠く響き渡っていたこともまた事実である。



 若々しい創造力に沸きたつギリシア民族にとっては、旧秩序の壊滅の苦悩は直ちに新し


い秩序出生への陣痛なのであった。



 かの清澄のほまれ高いへラスの蒼穹を暗澹たる黒雲に覆った混乱と動揺も、この偉大な


民族には、天与の一試練にすぎなかったかのように見える。



 収拾すべからざる階級間の闘争も、日を逐って蔓延する諸党の紛擾も、たんに古い社会


を破壊しただけではなく、かえってこの紛糾の只中に力強く胎動し始めた新しい精神の誕


生を助けるものであった。



 ギリシャ民族が誇りとする「自由」は、この一大危機を経てはじめてかち得られたもの


ではなかったか。



 新しい精神、それは自由平等の精神であり、個性的「我」の自覚にほかならなかった。



       ****************




 こうして前七世紀から六世紀に及ぶギリシャの二百年は、実に顕著な矛盾的性格を示す


のである。すなわち、それは一方に於いては清新な自由のパトスと奔湧する野心の情熱と


の灼熱的時代であるとともに、他方に於いては暗澹たる壊滅と動乱と絶望の気に充ちた時


代であった。







   生の悲愁  抒情詩的世界観



 ホメロスの叙事詩オデュセイアに、美しくも広かな映照をのこしたギリシア海上貿易の


発展は、紀元前七世紀に入って俄然かつてない活況を呈し、民族の経済生活を根抵からく


つがえし、旧社会組織の均衡を破り、その極まるところついに精神的革命を招来するに至


る事態の推移を我々は辿って来た。



 そして第七・第六両世紀にわたる動揺紛乱の渦中に於いて、次第に個性解放が実現し、


強烈な「我」の自覚が勃興し、ここにギリシア史上最初の個人主義的時代の到来をみる



に至ったことも我々は識った。



 この新時代が示す複雑で矛盾の多い現実の姿と、そこに鬱勃と湧き起る個人主義的精神


の実相とを、同時代の支配的文学形式をなす抒情詩の世界に於いて、我々は政治的社会的


生活面に於けるよりもさらになまなましく、より一層直接的な形姿の下に検察することが


できるであろう。




                 市川 和男 (2008 3/1 からも、ピックアップ引用文  続く)



市川和男のブログ


2008年07月13日(日)


無碍光と脱落心身--その結び目考-1 [語録探訪]


 弁栄語録『無碍光』(光明体系)から

 

「尽十方無碍光の中に在ることを信ずる吾親愛なる教友にまで申す」と

書いた弁栄は、「光明礼拝儀」に次のように唱える。

  

    如来無碍の光明は

         神聖正義恩寵の

    霊徳不思議の力にて

         衆生を解脱し自由とす

   

「興教大師の釈意に曰く、天地万物は法身如来の体、地水火風空識、

即ち物と心との二は一体の如来にてましませば、一切衆生の身と心とは同じく如来の一分子なり」

 と、興教大師覚ばんの視線を弁栄は取り込んでいる。

 「喩に、宇宙全体が大円鏡智であり、智慧の鏡である」


 この視点から、わたしは銀河を映す鏡と鏡それ自体が銀河だという、そのことを直感的に連想する。

 そして

 自分たちが解脱して、ほんとうの自由になり得るというのは、(先般頂いたhanazunoさんのコメイトが示されたように)実は心身脱落・脱落心身の境地において初めて成就出来るのではないのか。


「無碍光は処として融化せざるなき解脱の徳。頌に如来無碍の光明は、無上菩提の態(すがた)にて、世の約束を解脱して真我の自由を得せしめぬ。    (中略)

 無碍とは消極的には、人の宗教性に適せざる性能を、主我幸福及利己的欲望等を脱却、積極には如来の聖意に霊化し、真理の目的に協力して行動すること。

 無上菩提は宇宙大道。

 世の約束とは、人は天然なる性質にして、霊性未だ開発せざる程は、世界の相待に規定せられ、機制我のために眩惑せられて、宇宙最高の目的に参ずること能わず」

「無碍光の性能を論ぜば如来の一切智と一切能。

 無辺光としての智能は即ち純粋理性を照らす、即ち理論的の性格にして、無碍光としての一切智能は、実行的を照らす処の光、即ち倫理の光明なり」

 この無碍光の視線と脱落心身の視線、ひいては興教大師、道元禅師、弁栄上人の魂の視線・精神の波長が交わる結び目は、曼陀羅のすい点のようなものではないのかとわたしは思う。

 

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2008年07月11日(金)


わたしだけの図書館 [語録探訪]


【語録探訪】  

 いわば想念の海、それが自分の書斎だ。

 その海から、わたしの復路に言葉を拾う。

 わが魂の鏡に映った「語録」を繰りかえしたぐり寄せ、刻み込む。

 自らへの証しとして-----。

 日々、想いの茂る草深い道を螺旋状に歩む。


 

 【想念のあしあと】

 生まれ育った墳墓の地。

 ここ十数年来、この地域での、諸種の計画や組織などに関わり、その方面から、さまざまな社会活動に携わってきた。

 それらの果実としての文書類がなぜか、書斎や書庫に、当時を忍ぶ資料として雑然と置いてある。

 それらの文書や資料のバック・イデーは、私の内部では、即物的ではなく、常に少し離れたところにあった。それが展望し、また眺望するのに役立つと感じていたからだ。

 振り返り、時、まさにニューミレニアム到来の時代。

 これまでにない変動の季節ではあった。

 いま、その時代の同友たちの顔が浮かぶ。

 同時に、無二の心友としての書籍の数々が、一層強く脳裏を充たす。




 そんなこんなの、

 【私だけの図書館で---】

 さかのぼれば、若き日の情熱が反射する古い貴重な本の数々。

 壮年期の往路には、時塾を待った構想が山を成す文書や資料。

 いま復路にあって思う。

 ここには、わたしの見てきた心象風景があり、求道の道標があり、あるいは社会的関連のいろいろな書類がひっそりと積んである。

 そこは、まるでわたしの内部と外部の汽水域のような世界なのだ。

 時の流れのなかで、各々の思想がそれなりに深化していき、そしてまた、大きな振幅をしている。

 思えば、わたしの本との出会いの端緒には、父の遺してくれた倉田百三の『出家とその弟子』がある。

 そして学びの決定打になったのは、小林秀雄と岡潔の対談『人間の建設』であった。 

 わたしは、その地点から、時間をかけて往復するある種の振幅運動であったと、そんなように思う。

 

 我が家には子安弘法大師が祀られていて、わたしの幼少のころから焼き付いた空海は、わが魂の一番奥の方にある故郷だという気がずっとしている。

 が、遍歴の旅は、道元、良寛、岡潔を通じて山崎弁栄、そしてわたしは、弁栄の奥の方に見える興教大師への遡及に至る。

 「限りなく浄土教に開かれていた”真言宗僧覚ばん”、と、またどこまでも真言密教に開かれていた”浄土宗僧弁栄”との対比」

において見えるもの、その今日的重要性。

「かかる覚ばんから弁栄への展開は、転換期を生きた覚ばんが、単に古代から中世への転換期にとどまることなく、中世から近代への転換期において、弁栄を通じて、弁栄と共にはたらいていた、といった側面も見得るのである。」

 (以上『興教大師覚ばん研究』のなかの阿波昌「転換期における絶対者論考」から)

 もう一つある。

 名著『道元−如来から自己へ−』の著者玉城康四郎氏は

「先年私は、空海は親鸞となって生まれてきた、と述べた。(中略)

 すなわち、親鸞晩年の『自然法爾』、『弥陀如来名号徳』は、空海の大曼陀羅において初めて成就完成する。(中略)

 私自身のなかで、空海と親鸞は、互いに相呼応しながら、私自身とともに未来へと転進していくのである。」(同上掲載書「空海と覚ばん−解脱をめぐって−」)


  ここは、このように、わたしにとって、いつまでも、いわば、わが霊山連峰である。

 その一方で、やはり探訪は、プラトン、ニーチェ、ドストエフスキー、そしてポール・ヴァレリー、シュタイナーという一連の精神世界であった。

 これら先達の、わたしにとっての共通項は、<予見する詩人哲学者像とその視線>なのである。

 この人たちは、すべてすでに彼岸に逝ったが、この世に、それぞれ、その精神の透徹する結晶体を刻み込み遺している。

 ともあれ、この方々との内的対話を繰りかえして、「いまここ」に在る。 

 ところで、

 現世で活躍中の方々のうち、

 特に私の思想探訪の道を案内してくれるのは、

 1995年(平成7年)新潮社より刊行された『日本人は思想したか』という吉本隆明氏、梅原猛氏、中沢新一氏による鼎談であった。

 この本は、以後、私の思想確認に大きく影響して現在に至っている。

 吉本氏の、この本の<終わりにひとこと>に次のようにあった。

「-----ゆったりとした大人の雰囲気をもった碩学梅原猛さんと、豊かな才能と無意識までとどいた精神の柔軟さをもって気配りする中沢新一さんと、とてもいい遠近感で話ができたのは、やはり得難い”時”を企てとしても偶然としても択ぶことができたからだとおもう。わたしにとって記念碑的な時間であった。読まれる人にとっても、そうであることを祈りたいとおもう。」

 わたしの読後感も、まさにその通りだったし、やはりひつつの記念碑的思想確認の書である。

 

 (このように、わたしは2008年7月8日の早朝の原稿を入力し、それに7月11日加筆し、ここに遺す) 

 





Posted by ichikawa at 15時03分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )