渓声3

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「明恵とモーツアルト―空に浮かぶふたり―」
 

2006/5/9

 
  地上数尺上を歩いた二人。さらに魂は空中を自由に浮遊する。

  わたしの老眼に、かすみながらも、飛ぶ鳥の、濁りない跡が見える。

  その羽ばたきの姿を、追い求め、歩いてみたい。振り返ることなく―。

  

2007/4/23  

  ふと<音が光る>ように感じた。   
  その音とは何だろう  
  何か音がする  
  音の光る世界  
  向こう側から聞こえてくる  
  空中に流れる魂の交感時空だ。   
  忘れ得ぬ言葉に
 「西行を地上一寸とすれば、明恵は地上一尺である。
  良寛の足は地に着いている。     
  明恵が語りにくいのは、彼が路を行くときも、
  その足は地上一尺を踏んでいるからだ」    
  という上田三四二氏の<顕夢明恵>の書き出しの一節がある。
  そのなかで氏は明恵の有名な歌、
  <あかあか>の一首を次のように語る。     
 「月が明恵を呼び、明恵の心はあくがれてその身を出で、月光にまじり、
  月に向って浮上して行く。残された身はどうなるのか。
  呪文のような一首の歌が明恵の唇を洩れる。 
    
                 
  あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月


  歌であろうか。歌のようでもあり、何やら、うわ言のようでもある。
  月の明るさに当てられて、法悦に頭がおかしくなったのである。
  頭がおかしくなって、身体の地があらわれた。      
  これは身体の声である。身体は言葉を持たない。
  身体は体は月を指して、こういう片言を口にするだけだ。      
  そして片言は、しきりに月を呼んでいる。  (中略)      
  月に向うとき、明恵の身はこの幼児に還っている。
  心はあくがれて月ある空にのぼり、
  残された身は、明恵にあっては肉体の不浄、肉体の重たさに、
  もっともとおい幼児の身となって、月に向って心を呼び戻している。
           (中略)      
  −この世の月はこのようにして観念の月となり、観念の月をつぎつつ、
  しかも空に照るこの世の月であることを止めない。      
  <あかあか>の一首の歌によって明恵は現実の月を観念の月につなぎ、
  観念の月を現実の月たらしめる」      
  ここで明恵は、上田氏によれば
  「求道者というよりは、むしろ自然詩人」であった。
      
   「歌わぬ詩人。たしかに彼の仏心即詩心のためには、
   <阿字>一つあればよかった。
   あるいは、<阿字>のこの世における立証―
   空の朗月と、<あかあか>の月の歌、
   一首が、あればよかった」と。
  
   そんな明恵を白州正子は,その著『明恵上人』のなかで       
  「高山寺に住んでからの明恵は、変な言い方ですが、
           だんだん透き通って行くように見えます。」
  と書いている。 
     魂となったような空中散歩人       
     明恵という宗教的詩人       
     その彼の華厳の世界は、宇宙哲学的時空だ                 

07年4月24日
 
     空中の散歩びとは、様々な霊と出会う。
     宇宙は、霊に満ちている。
     宇宙という時空間には、無数の霊たちが往き通う。
     天空とは、もっと身近だ。
     その空を、この二人は、散歩している。
     時には、悠然と。
     時には、せかせかと。


  
  
     「−−構想は、あたかも奔流のように、実に鮮やかに心のなかに姿を現わします。
     しかし、それが何処から来るのか、どうして現われるのか私には判らないし、
     私とてもこれに一指も触れることは出来ません。
     −−後から後から色々な構想は、対位法や様様な楽器の音色に従って私に迫ってくる」

    このモーツアルトの手紙を引用しながら、小林秀雄は次のように書く。
     「<構想が奔流のように現われる>人でなければ、あんな短い生涯に、あれほどの仕事は出来なかっただろうし、
     ノートもなければヴァリアントもなく、修整の跡もとどめぬ彼の原譜は,
     彼が家鴨やや鶏の話をしながら書いた事を証明している。
     手紙で語られている事実は恐らく少しも誇張されてはいまい。
     何もかもその通りだったろうが、どうも手のつけようが無ない。
     言わば、精神生理学的奇跡として永久に残るより他はあるまい」
    
    ここに聞こえるものは何か。
    天上の声か。はたまた始原の響きか。

     小林は続ける。
      「確かに、モーツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するするには美しすぎる。
      空の青さや海の匂いのように、万葉の歌人が、その<使用法>をよく知っていた<かなし>という言葉の様にかなしい。 
      こんなアレグロを書いた音楽家は、モーツアルトの後にも先にもない。
      まるで歌声のように、低音部のない彼の短い生涯を駆れ抜ける。
      彼はあせってもいないし、急いでもいない。彼の足取りは正確で健康である。
      彼は手ぶらで、裸で、余計な重荷を引き摺っていないだけだ。
      彼は悲しんではいない。ただ孤独なだけだ。」 
       
     このようにして「永遠の小児モーツアルト」は、優美に、快活に、静謐に、
             明恵と共に、霊の世界のような天上を、今も歩いているのではあるまいか。


     小林に言わせれば「大切なのは目的地ではない」のだ。「現に歩いているその歩き方」なのである。
     モーツアルトは、その歩き方の達人であった、と小林は言う。
     そして
     「死は、多年、彼の友であった。−−
     彼の作品は、その都度、彼の鎮魂曲であり、彼は、その都度、決意を新たにして来た」
     と小林は、この文の結びの方で述べている。 
     若き日のバイブルだった小林秀雄の本。 
     氏が、「モーツアルト」を雑誌『創元』に発表したのが、昭和21年12月であった。
        その後の昭和23年12月、新潮社は『人間の建設』と銘打つ小林秀雄・湯川秀樹の対談集を出版した。
     これは、同年の7月に行われたのもだ。そのなかでモーツアルトに触れた箇所がある。例えば、そこには次のようにある。
     湯川 
     「―モーツアルトがいろいるな名曲を作ったときには、
     その全体が一度に直感的に出てきているということを詳しくお書きになった。そこが面白いと思う。
     論理とか数学とか、純粋の音楽とかそういう時間性をもったものでも、実際それを天才が把握するときには、
     やはり直感的に、同時的なものとして把握しているということは、非常に面白い点だと思う増す。―」
     小林
     「ああ、モーツアルトの手紙のことでしょう。
     心理学的には全くの奇跡ですが、あの人の子供らしい文学的比喩だとも受けとれないところがあるのです。
     何か恐ろしいものを感ずるのですね。
     黙示録の止まってしまった時間というのも本当かも知れんというような感じがあるのですよ。」

     この書の対談は
     湯川
     「科学というものも、ある意味では20世紀になって、また人間的なところへ帰ってきたのだろうと思います」
     という言葉で結ばれている。

  
     ただひた走りに、追われるように地上をひた走る経済社会。そのなかで、果たして、
     このように湯川博士に言わしめた20世紀の科学でありえただろうか。
     純粋科学の世界はそうあり得たかも知れない。
     が、政治的な意図のある産業主義に奉仕するような科学技術の方面ではどうだろうか。
     かえって、今は非人間的になったのではないだろうか。