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07年4月24日
空中の散歩びとは、様々な霊と出会う。
宇宙は、霊に満ちている。
宇宙という時空間には、無数の霊たちが往き通う。
天空とは、もっと身近だ。
その空を、この二人は、散歩している。
時には、悠然と。
時には、せかせかと。
「−−構想は、あたかも奔流のように、実に鮮やかに心のなかに姿を現わします。
しかし、それが何処から来るのか、どうして現われるのか私には判らないし、
私とてもこれに一指も触れることは出来ません。
−−後から後から色々な構想は、対位法や様様な楽器の音色に従って私に迫ってくる」
このモーツアルトの手紙を引用しながら、小林秀雄は次のように書く。
「<構想が奔流のように現われる>人でなければ、あんな短い生涯に、あれほどの仕事は出来なかっただろうし、
ノートもなければヴァリアントもなく、修整の跡もとどめぬ彼の原譜は,
彼が家鴨やや鶏の話をしながら書いた事を証明している。
手紙で語られている事実は恐らく少しも誇張されてはいまい。
何もかもその通りだったろうが、どうも手のつけようが無ない。
言わば、精神生理学的奇跡として永久に残るより他はあるまい」
ここに聞こえるものは何か。
天上の声か。はたまた始原の響きか。
小林は続ける。
「確かに、モーツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するするには美しすぎる。
空の青さや海の匂いのように、万葉の歌人が、その<使用法>をよく知っていた<かなし>という言葉の様にかなしい。
こんなアレグロを書いた音楽家は、モーツアルトの後にも先にもない。
まるで歌声のように、低音部のない彼の短い生涯を駆れ抜ける。
彼はあせってもいないし、急いでもいない。彼の足取りは正確で健康である。
彼は手ぶらで、裸で、余計な重荷を引き摺っていないだけだ。
彼は悲しんではいない。ただ孤独なだけだ。」
このようにして「永遠の小児モーツアルト」は、優美に、快活に、静謐に、
明恵と共に、霊の世界のような天上を、今も歩いているのではあるまいか。
小林に言わせれば「大切なのは目的地ではない」のだ。「現に歩いているその歩き方」なのである。
モーツアルトは、その歩き方の達人であった、と小林は言う。
そして
「死は、多年、彼の友であった。−−
彼の作品は、その都度、彼の鎮魂曲であり、彼は、その都度、決意を新たにして来た」
と小林は、この文の結びの方で述べている。
若き日のバイブルだった小林秀雄の本。
氏が、「モーツアルト」を雑誌『創元』に発表したのが、昭和21年12月であった。
その後の昭和23年12月、新潮社は『人間の建設』と銘打つ小林秀雄・湯川秀樹の対談集を出版した。
これは、同年の7月に行われたのもだ。そのなかでモーツアルトに触れた箇所がある。例えば、そこには次のようにある。
湯川
「―モーツアルトがいろいるな名曲を作ったときには、
その全体が一度に直感的に出てきているということを詳しくお書きになった。そこが面白いと思う。
論理とか数学とか、純粋の音楽とかそういう時間性をもったものでも、実際それを天才が把握するときには、
やはり直感的に、同時的なものとして把握しているということは、非常に面白い点だと思う増す。―」
小林
「ああ、モーツアルトの手紙のことでしょう。
心理学的には全くの奇跡ですが、あの人の子供らしい文学的比喩だとも受けとれないところがあるのです。
何か恐ろしいものを感ずるのですね。
黙示録の止まってしまった時間というのも本当かも知れんというような感じがあるのですよ。」
この書の対談は
湯川
「科学というものも、ある意味では20世紀になって、また人間的なところへ帰ってきたのだろうと思います」
という言葉で結ばれている。
ただひた走りに、追われるように地上をひた走る経済社会。そのなかで、果たして、
このように湯川博士に言わしめた20世紀の科学でありえただろうか。
純粋科学の世界はそうあり得たかも知れない。
が、政治的な意図のある産業主義に奉仕するような科学技術の方面ではどうだろうか。
かえって、今は非人間的になったのではないだろうか。
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