邑信3  テスト氏・考

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     1、ポール・ヴァレリーは、1871年に生まれた

     2、ヴァレリーの研ぎ澄まされた知性とは何であったのか    

     3、『テスト氏』の淵源       

    4、「テスト」の語源

     5、『ユリイカ―散文詩』(ユーレカ)

    6、 ポオの『マルジナリア』MARGINALIA

    7、「エミリー・テスト夫人の手紙」から

8、「テスト氏の肖像のために」、友人の日記「思い出」から

9、「テスト氏の思い出」

10 、「テスト氏の思想若干」から

11、「テスト氏の最期」

12,テスト氏の元型を探る

     そのJ ヂュパンたち

     そのK デ・ゼッサントたち


写真はポォル・ヴァレリ全集 (筑摩書房)

『哲学論集』より



  以下は、私が「感受性の方程式」を求め、彷徨っていた遠い日にカジッタものを復習しながら、自分史的に印したものである。



  1、ポール・ヴァレリーは、1871年に生まれた。 13歳から作詩する。


 「テスト氏」の主題は、一貫してヴァレリーを貫いている。


 『テスト氏との一夜』は25歳の時の作品である。


 「人間に何が出来るか、私は50年前にこの問題を立てたのだ」。


 とヴァレリーは手帖『カイエ』の最終巻に書いている。



 つまり、テスト氏を通じて、彼は生涯、この主題に立ち向かった。 


 神なき宗教者といわれ、「飽くなき厳密」をわが身の課し、それを透明で静謐な知性主義をもって追求してゆく。


 そんな人生の方向を、彼は選んだのである。


  そのヴァレリーは、74年の生涯を終え、 セットの「浜辺の墓地」に埋葬されて、墓石には彼の詩が刻まれた。




             「ああ 一すじの思念ののちにかえってくるもの


             異教の神々の静謐さの上に、じっと凝らす眼差しよ」


 
                                                               見出しに戻る



 

  2、ヴァレリーの研ぎ澄まされた知性とは何であったのか。


 ヴァレリーは,あまりにも研究され尽くしている。素晴らしい評伝も多い。


 ただ、ここで私は単純なワンカットで、その精神の系譜を管見的に辿ってみたいと思う。


 ヴァレリーの精神の淵源には、ポオ(1809年〜1849年)の諸作品やユイスマンの『さかしま』(1890年)、そしてもうひとつ、

 「人間の脳髄の最も神に近づいた」状態まで達したといわれる知的極限の存在としてのマナルメ (1842〜1898)があった。


 1916年の『カイエ』には「純粋詩。純粋詩とは、もっぱら詩的要素のみで形成されるところの詩」とある。

 彼は純粋象徴詩の創作と共に、ポーの訳詩も彼の重要な仕事であったが、マナルメの死を知り、ヴァレリーは書いている。

 「私は、堪えがたい数語が私のうちに待ち構えているのを感じ、もはやそこへ帰って行く勇気がなかった。

 その日以来、私は真実二度と考えたことのない思索題目がいくつかある。それらについてマラルメに語ろうと私は久しく夢みていた。

 しかるに彼の急逝が、いわばそれらの題目を神聖化し、それらを私の注意力から永遠に封じ去ったのである。  

                               (中略)

 マナルメは、あらゆる思想のうち最も高く、もっとも大胆なものの上に、あえてその全存在を賭することにより、己の思想に向かって、

 己の正しさを証明した。 

 夢から言葉への移行ということが、無限に単一なこの人の生涯をして、異様に繊細な知性の織りなす、あらゆる組み合わせに、

 没頭させた。彼は驚嘆すべき変貌を己の内部に果たすために生きた」

 と、書いているが、これはじつにヴァレリー自身を重なる。

 そのマナルメは、神秘主義の扉を開いて、宗教的境地に至ったが、しかし、ヴァレリーはその道は進まなかった。 

 あくまで、人間知性主義に一貫した歩みであった。

       ―――――――――

 ところで、遠く、私は、の自分の若き日に、誇大妄想的に言ったことをはっきり覚えている。

              ―「私は感受性の方程式を作る」―

 思い出して、まことに恥ずかしいが、本人には至極真剣な宣言であった。

 そして私もまた、およそ50余年ぶりに、ヴァレリーの幾層もの知性のページを捲っているのである。 か

つての感性は、年齢の影に潜んでしまってはいるが―。 

 それでも、この道を手探りで歩むしか他にない。 自分が自分に付き合っているのだ。 それは孤独で寂寞の感もある。

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  3、それはさておき、『テスト氏』の淵源は、感性的または思想的次元で見ると

 「ヴァレリーにとってのポオは、あの壮大にして厳密な宇宙論<ユーレカ>の作者としてのポオである。

                         (中略)

 <ユーレカ>の発見と<テスト氏>の創造とは、彼において絶対に切り離しえぬ性質ものだった」

 と、『テスト氏』の訳者・栗津則雄の解説にもあるように、やはり、ポオの散文詩『ユーレカ』(1848年)であり、

 また、」独自のノート論 『マルジナリア』( 1836〜1849年)であろう。 

 また具象的には、ユイスマンの『さかしま』の主人公や、ポオの捜索した人物・天才的推理家デュパンたちだと思う。

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  ヴァレリーは、自身が19歳になった年の1890年、『ユーリカ』の作者ポオについて

 「―超自然で、魔術的で、ぼくの感じでは今世紀のもっとも芸術的と思われるあの芸術家」

 と友人への手紙に書いている。

 ヴァレリーは53歳のとき、その当時の自己の心情風景を語りながら、「わたしの目の前に『ユーレカ』が落ちて来た」と書いている。

 ヴァレリー自身の20歳当時の思い出から筆を起こし、ポオの宇宙論や詩論・思想展開を記述した『ポオの「ユーレカ」をめぐって』

 という卓抜のエッセーが生まれた。

 そんな精神的影響をのなかで、彼の生涯のテーマが培われ、それを象徴する作品が創られる。

 1896年9月に出現した『テスト氏との一夜』だ。ヴァレリー25歳のときである。

 その後、ヴァレリー珠玉の作品が誕生する。詩と評論のヴァレリー時空が刻印された。

 そして長い沈黙の時代があった。

 『テスト氏との一夜』の後、28年の歳月を経て、1924年『テスト婦人の手紙』が生まれた。

 ヴァレリーはそのとき、53歳であった。

 1926年、『テスト氏』合冊本発行、ヴァレリー55歳。

 1946年、その増補合冊本『テスト氏 未完の物語』刊行、ヴァレリー75歳であった。 


 このように、『テスト』は二十歳から晩年にいたるまで、『カイエ』と一心同体のライフワークであった。 この二つの作品は、

 表現形式という衣は違っていても内実的には<不二>の関係として、その生涯を貫く不動のテーマであった。

 以上のように、「テスト氏」は、彼自身の内的な生き様を象徴する作品であり、したがって、ヴァレリー自身の<抽象的実在>だ、

 といえよう。


 ヴァレリーは、ユイスマンの『さかしま』を通じてマナルメやポオの宇宙論『ユーレカ』の世界に出会う。 

 その衝撃的な影響のもとに、

 「知性の偶像」以外は拒否することを彼はみずからに課した。

 この体験はヴァレリー青年時代最大の知的出来事であったが、松岡正剛氏の『千夜千冊』によると、

 「その直後のヴァレリーは、この決意をまるで“国家機密”のように大事にして、前人未踏の思索に耽ることになる。 

 テスト氏とは、そのようなヴァレリーの分身のことである。

 <精神>がヴァレリーであるとすれば、その精神を発現させている“方法”が<テストし氏>なのである」

 と書かれている。

 そして「ヴァレリーはテスト氏によって眺められた自分を綴っていったのである」という。

 さらに、「ヴァレリーが『テスト氏』で示したことは、はっきりしている。 精神と言葉のあいだに動けるものを描写したのだった」

 とある。

 これらは、じつに至言だと思う。

 このようにヴァレリーにとっては、「知性」の極限的な際立ちを示す化身が、「テストし氏」に他ならないのであろう。

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  2007/07/03

  

 さて、 次の視点もここに取り上げさせていただく。

 それは、『テスト氏 未完の物語』を翻訳した栗津則雄氏の「解説」である。

 そこに次のように書いている。


 「ヴァレリーは、1895年(ヴァレリー24歳)に書いた『レオナルド・ダ・ヴインチの方法序説』において、

 ルネッサンスの万能の人ダ・ヴィンチに仮託しながら、このような一種の普遍精神における認識論ないし宇宙論を展開した。 

 次いで、1896年(ヴァレリー25歳)には、『テスト氏との一夜』において、この普遍精神の倫理学ともいうべきものを、書くにいたるのである。」


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  ちなみに、「テスト」の語源は、“テート”というフランスの中世語で“頭脳”を意味している

 

 また、ラテン語の“テスティス”で、証人、視察者などの意味もあるという。


 この「テスト氏」の前身と思われるものが、

 ひとつは、『オペラ座での一夜』であり、もうひとつが『ディパンの回想』の、このふたつであろうといわれる。

 ヴァレリーは、オーギスト・コントの居た部屋で、オーギスト・デュパンをモデルにした作品を創作した。



 1895年の『カイエ』には、次の記述がある。

 「デュパンの生活の孤独な冒険。精神のカザノヴァ。 ロンドン 1833年」

 精神のカザノヴァ(カエザル)、つまり<精神の皇帝>を夢見る青年・ヴァレリー24歳のとき手帳に記されているこの言葉は、

 「テスト氏」を通じ、生涯にわたるかけ彼の主題であった。


 人は誰でも自分おなかに「別人」を持っている。

 畢竟「テスト氏」とは、ヴァレリーにとっての内なる「別人」、それも強烈な存在感のある別人であった。

 栗津氏は続ける。

 「ヴァレリーは、何と賭しても、この<別人>に、しかも叶う限り純化し普遍化した<別人>に、疑いようのない存在と持続を与える

 必要があった。 存在不可能な存在、しかし、なぜ不可能か、と問うことによって存在し始める存在、まさしく、そういう存在として、

 この<別人>に、血肉を与える必要があった。<テスト氏>は、ここにおいて、生々しい肉声として彼に語り始めたというべきだろう。

 この<別人>に生を与えるために、彼自身の生はどのように続けられるか。ーーー」


 ヴァレリーに圧し掛かる栗津氏のこの問いかけは重い。

 『評伝 ポール・ヴァレリー』の著者松村剛氏は

 「ヴァレリーは『テスト氏』では、その純粋自我の所有への努力を描いた。 テスト氏は、生身を削りとるのが自分の仕事だ、

 といっている。生身を削られ、純粋化されてゆく彼は、必然的に<非人称>とでもいうべき相貌を見せる。」


 「―ダ・ヴィンチでは、彼はこのルネッサンス人にすべての願望を託したが、『テスト氏との一夜』では、現在に、あたうるかぎり

 現実的な人間像を、つくり上げねばならなかった。実在化は彼に、さまざまのつらい作業を強いる。 

<生身を削る>ことに専念するテスト氏は、 むしろ、ダ・ヴィンチの陰画としての色彩が濃いのである。」

 「そしてまた、人間は自己を<非人称化>してゆくことに、どこまでたえられるのか。」


 ところでヴァレリーは、その師マナルメについて

 「彼がいみじくも孤独な努力に身を削ったということ、−−(中略)−−これは彼の精神の果敢と深奥との証左をなすものである。」

 と書いているが、これはそのまま「テスト氏」を作り出して、その課題を生涯持ち続けたヴァレリーに当てはまるように、私は思う。



 
                                                                    見出しに戻る

  5、さて『ユリイカ―散文詩』(ユーレカ)のページをめくる。

 サブタイトルは「物質ならびに精神的宇宙についての論文」である。

 書き出しは

 「私を愛してくださる、そして私の敬愛する少数の方々へ―

 思考の人よりも、感ずる性質の方々へ―夢想家へ、そして単なるさまざまな現実と同様に夢のことどもを信ずる方々へ、私は、

 この<真理の書>を捧げます。――」



 「これらの方々にこの作品を、ただ一個の芸術品として、――いわばまあ物語とでも申しましょうか、

 さらに自惚れが過ぎるとのお叱りを受けなければ、一篇の詩としてお贈りいたすのであります。」


 と書き、導入部を展開している。

 次に

 「私の計画と申しますのは<物理学的、形而上学的、数学的宇宙――物質的ならびに精神的宇宙>について――その本質、

 その起源、その創造、その現在の状態、その命数について述べたいのであります。」

 を意図するところを示す。

 「<宇宙>とは、その広がりの範囲内に存在すると想像し得る、精神的物質的の如何を問わず、すべてののものを包含している、

 空間のこの上ない拡がりの意味であるとご承知願いたい。 

 普通に<宇宙>という言葉が使用されているものに対しては、私は<星の宇宙>なる制限された語句を用いたい。」


 この宇宙と精神について“われ発見せり”という、『ユーリカ』の独自な詩的考察は、わたしには、未だに魅惑的である。



 ヴァレリーは、『ポオの「ユーレカ」をめぐって』という卓抜のエッセーで、次のように書いている。


  「ポオの思想は、その根本において、やはり深遠で偉大なのである。       

                          (中略)

  例えば『ユーレカ』の第8章には

  <自然の法則のひとつひとつは、あらゆる点において、他のあらゆる法則に従って規定されている>という命題があるが、

  これは定理の性格を備えてはいないにしろ、一般的には相対性への意欲の表現ではないだろうか。

                          (中略)

  同様に、形式論的な均衡がアインシュタインによる宇宙の表象の本質的な性格となっているのであり、それが彼の宇宙論を

  を美しいものにしている。

  しかし、ポオは諸現象の物理的要素だけを問題にしているのではなく、彼は生命と意識とを彼の構想に含めている。

                          (中略)

  −−物理学的な、倫理学的な、また形而上学的な意味においての、宇宙全体の構造に関するポオの直覚は、1847年以降に

  発見された幾多の極めて重要な事実によって、否定されもしなければ、また確認されもしない性質のものなのである。

                          (中略)

  そして、始まりということは、―それが絶対の始まりである場合、―ひとつの神話としてしか考えることが出来ない。

                           (中略)

  我々は、凡て、始まりとは結果であることを発見する。  ―あらゆる始まりは、何物かの終了なのである。

  しかし、我々に最も重要なのは、

  我々が宇宙と称している《全体》の観念であり、その全体が、如何にして始まったかを知ろうと欲するのである。

                           (中略)

  そのようにして私が見ているのは、ひとつの全体であり、私がそれを《全体》と称するのは、それが何らかの意味で、

  私に見るという能力を余すところなく働かさせる。

                           (中略)

  これが、私が考える《宇宙》の最初の形である。 宇宙の起原いついて言えば、

  ――太初(はじめ)に神話があったのである。 ここには常に、神話しかないのである」

 と、ヴァレリーは、この文を結ぶ。

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  6、次いで、ポオの『マルジナリア』MARGINALIA(覚書)について



 『マルジナリア』は、1836年から1849年にかけて、つまり、ポオの27歳から40歳で亡くなるまでの13年間にわたり、「民主主義評論」

 や「南方文学新報」などの誌上に断片的に発表したものである。


  天才の天才観―。そんな注目すべきポオの「天才論」を、この『覚書』で見てみたいと思う。


  「 天才    

  天才が感動するのには、運動する倫理的実質がありさえすればいい。その運動の方向が何処を指していても構わず、また、

  その倫理的実質は、全く何であってもいいのである。」 


  (私は、天才なるものが、道徳的に下等であり得るということを逆説的に思うのみならず、)

 「最高級の天才というのは、最高級の倫理的品位に他ならないことを、自信を持って、主張するものである。」



 「――天才が奮闘し、労苦し、創造するのは、優れるのを欲するからではなく、優れ得るのを知りながら、他のものに劣るのは、

 たまらないことだからである。実際、私の考えでは、最高級の天才は(その人たちは人間の野心が如何に馬鹿げたもので

 あるかを、一番よく知っているだろうから)、常に何もしないで、名も知られずに一生を送ったのである。」  


 「詩的天才が最高度に達した場合、それはあらゆる理智的能力を兼ね備えている。」


 「非常な天才は、或る時は非常によく話し、或る時は非常に下手に話す。

 自由に話せて、時間もあり、聞き手が親切であるならば、旨く話す。邪魔されるおそれがあり、またその場では話題が尽くせない

 ような時、下手に話すのである。

 天才とまでは行かないものは、断片的にしか話さない。   

 真の天才は不十分、不完全を何より嫌がり、或る事について言える凡てをを言い尽くせないときは、むしろ黙っていたいのである。」

  

  また


  「思索

  ”人は考えるというけれど、私はこれから何か書こうとする時になって、始めて考え出すのである”といったのは、たしか

モンテーニュだったと思う。

  それよりも、もっといい造り方は、すっかり考えてしまわないまでは、何も書こうとしないことである。」



 

  この書の終わりには、<学識 >という見出しで、次のようにある。



 「――或る種類の頭脳は、習慣的に本を読んでいるうちに、すべて書いたものに対して、本能的な、殆んど磁力的な理解力を

 生ずる。そうなれば、普通のものが読む言葉の数だけ、その人間は頁を重ねるようになる。

  この智的作用の綿密な分析により、今から何百年か後、これが一般的な読み方となるのは、決して不可能なことではない。

  それは十一代目、二十一代目の一般公衆の読み方となるかも知れない。 そして若しそれが実現されれば、

  ―それは必ず実現される―それは、今日我々が、一字一字書いて行くことを、各音節によって理解するのと同じ位に」、つまり、

  決してそれ以上に不思議なことではないのである。

  必要は、その必要なことを生じる傾向があるというのは、自然の法則ではないか。」



  ここで「覚書」閉じられた。


  しかし、ポオの、残した数々の言葉は、何と予見的であることか。

                                          ichikawa 2007/7/12

                                                                 見出しに戻る

  7、ここから、テスト氏像を、「エミリー・テスト夫人の手紙」からピックアプしてみる。


  内的で、特殊でーーー、それから普遍的だ。---ほんとに美しいのです、彼の眼は。


  彼は彼で、まったく習慣のままに、心ここにないように生きています。


  突然、彼は巨大な、おそるべき人間になるんです。


  彼は、自分のなかに、ひどく切れやすくて、彼の全生命力に助けられ協力されて、やっと、おのれの繊細さを持ちこたえているような

  糸をのばしています。

  その糸を、おのれの内に口を開いた何かよくわからない深淵のうえに張り渡しているのです。

 

  神父様はわたしに、こうおしゃいました。

  「あのかたは、おそろしいほど静かですね。魂の不安も、内面のかげも、何ひとつ持っているようには思えません。---

  ところが、また、神の愛に向うものも何ひとつお持ちにならぬ」と。

  それでわたしは、

  「夫を見ると、神のない神秘家といったものをよく考える」と、神父様に申し上げました。

  

  --「うまいことをおっしゃる」と神父様はおっしゃいました。−−

 だがすぐに、われとわが言葉を打ち消すように考おっしゃるのです。

  「神のない神秘家かーー光り輝く無意味というやつだーーー(後略)」

 

  ーーー孤独という誰にも共通した考えが、何かに心を奪われたこれらの人々のひとりびとりを、抗いようなく、ここに引き寄せます。

  わたしたちは、程なく、死者にこそふさわしいその場所へ出かけるわけです。

  そこは、荒れ果てた植物園なのですよ。

  わたしたちがそこにつくのは、夕方少し前でしょう。

  わたしたちが、太陽や糸杉を鳥の声に身を委ねながら、小刻みな足取りで歩いている姿をご想像なさってください。

  陽はさしていても風は冷たく、あまりにも美しい空を眺めて、時おり心をしめつけられるようなおもいを致します。

  かくれて見えぬどこかにの寺院で鐘が鳴ります。ーーー

                             (中略)

  ----「形容詞の庭だ」と、彼は先日言っていました。 「辞書であり墓場である庭だーーーー。」

  そしてしばらくしてから、独り言のようにこんなことを言うのです。

  「博識ぶって死んでゆくわけだーーー分類シツツ過ギ去リヌか。」

  

  それでは、ほんとうにいろいろ有難うございました。ご機嫌よくお過ごしくださいませ。

   

    --------------------------------

   ヴァレリーは、エミリー・テスト夫人に、このように描かせているーーー。


                               これもそれも、また、ところどころで、ふっと身に詰まされる話だと感じながらーー           

                                          

                                           (いま、2007年7月14日午後 台風4号  風雨アリ)

 


                                                                  見出しに戻る

   8、またヴァレリーは、「テスト氏の肖像のために」という断章を印して、次のように言う。



   テスト氏は、偶然から生まれでた。世間一般の人と同様である。

   現在あるいは過去において彼が持っている総ての精神は、この事実から彼に到来したのだ。



   テスト氏に関する確かなイメージは存在しない。 

   どんな肖像も互いに異なっている。

   反映のない人物。

   この幽霊は、われわれの自我であり、ーー彼は自分がそうであると感じているーーー、我々の重さを身に帯びている。

   この私の重さという言葉の意味を考えてみることだ。

   なんという所有詞だろうーーー

   

   この重さと、それをおのれの現実の様態(―重いとか軽いとかいう様態だ―)としているエネルギーとを、どのように区別するか。

   テスト氏は証人だ。

  

  精神の変圧器的人物のなかで、おそらく、かつて存在した最も完璧な存在。

                        (中略)

  彼にとって、いっさいのものは、彼の精神活動の特殊な適用例と思われていたのであり、この精神活動自体が意識的なものとなり、

  彼がそれについて抱く観念乃至感覚と、同一化していたのである。

  精神の果てにあるものは、肉体だ。

  だが、肉体の果てには、精神がある。

  苦痛は、苦痛を認識へ変えてしまえるような装置を求めていた――

  これは、神秘家たちが垣間見たことだが、充分に見通せなかったことだ。だが、この逆命題こそ、この経験の端緒であった。

  神は遠くにはいない。神は最もまじかに存在するものである。

  
  

  ――かくてテストは、おのれの孤立した光に執着する人物であって、――つまりこのように考えていたのだ。

  国家機密とか芸術上の秘伝のごとき価値を付されないような観念とは、いったい何か。--------------

  また、罪とか悪とかのように、それをはじらうことのない観念とは何か。--------------

  なんじの神をかくすがよい――なんじの悪魔をかくすがよい。

 

   9、「テスト氏の思い出」―――テストの友人の日記―――

                                                            見出しに戻る

   テストがよく話題にしたことのひとつは、他の話題と同様夢のような話であったが、芸術家や作者の錯覚を排除しながら、しかも

   藝術を――アルスを――保持しようということだった。

   彼は、詩人たちの愚かしい己惚れも、――小説家たちの粗雑な己惚れも我慢できなかった。

   彼は、自分がしていることについての明確な観念は、霊感だとか、作中人物が獲得する生命とかについての色々なでたらめ

   よりも、遥かにおどろくべき、遥かに普遍的な展開を、齎し得ると主張していた。

   -----もしバッハが、自分の音楽は、様々な天体圏によって口述されるなどと思ったとすれば、彼は、彼が獲得したあの透明な

  力や、透明な組み合わせを支配する至上の権力を与えられなかったであろう。  スタッカート。 1934年11月

                                                                      

   

        以上、テスト氏に関する文章のなかから、どこか私の琴線に触れた感じの言葉をピックアップ、引用記述した。

        以後、「さかしま」のユイスマンが残っている。    今は昨夜の台風一過の晴天で、涼風あり。

                                     2007年7月15日 宮内・三島神社の夏祭りの日。ichikawa

    

   10, 「テスト氏の思想若干」から


                                                             見出しに戻る

        ※

    精神は個々の人間に心奪われるべきではない。

    何者ニモ心ウバワレズ。

         ※

     おのれの感動を、愚劣、衰弱、無用事、愚鈍、欠点と見なすこと、――

     船酔いとか、高いところで目をまわすとかいう、侮辱的なことがらと見なすこと。

     --- われわれのなかの、あるいはわたしのなかの何ものかは、精神に対して魂がふるう発明力にあふれた力に反抗する。

  

         ※ 

     ーーわたしの「魂」」とは、わたしがもはや何も見えなくなり、もはや何も出来なくなり、―精神が道を閉ざして、前に進めなくなる、まさしく

     その地点において、働き始めるもだ。ーー  

 

         ※

      「観念」は、わたしにとっては、変形の手段である。― それゆえにまた、何らかの変化の部分乃至は喫機である。

      人間の持つ何らかの「観念」は、「問いを変形する手段である」。

          ※

       君は、君が自我と呼ぶさまざまな秘密にみちている。

       君は、君の持つ未知なるものの声だ。

 

          ※

        わたしは、他人の感情に対していかなる必要も覚えない。そんなものを借りることで、なんの喜びも感じない。

        自分の感情だけで充分である。

           ※

       ーー わたしは 何かを作るだろう。自分に、一つの目的を与えはするだろう。

       だがしかし、何ものもわたしの外部にはないのである。−−         

           ※

                  自由――普遍性

        わたしがしたり考えたりすることは、すべて、わたしの可能の見本にすぎない。

        人間は、彼の生活や行動よりも、もっと普遍的なものである。

        彼が知りうる以上の偶発事を受け入れるように、言わばあらかじめ規定されている。

        テスト氏は言う。 わたしの可能は、けっしてわたしを捨て去らぬ。

  

  11、「テスト氏の最期」(全文引用)  

                                                              見出しに戻る

ゼロからゼロへ移行することが問題だ。――そしてこれが生なのだ。――

    無意識、無感覚から、無意識、無感覚へ。

     この移行を見ることは不可能だ、なぜならこれは、見ない状態から見る状態へ移行したあとで、見ることから見ないことへ

   移行することだからだ。

    見ることは存在することではない。 存在することを含んでいる。 厳密に言えば、存在することが見ることを含むのではない。

    人は見ることなしに存在することが出来る。 

    これは、見ることに様々な断層があることを意味する。――

    突然のさまざまな変化によって、人はこの断層に気付くのだがーーーーー

    このような変化は、記憶と呼ばれる視覚によってはっきり示される。

    「現実の」見る行為と、「思い出」としての見る行為との違いは、 この違いが非連続的なもので、しかも、現実の見る行為は、

   この違いを内に包みとっていないとすれば、結局、或る中間的な「時間」に帰する。 この仮定は、これまでのところ、何の欠陥も

   見出されなかった。

   

    事物に対する奇怪なまなざし、見知りごしのものはなく、この世界の外部で、眼を、

  存在と非存在との境に据えている人間のまなざし、――これが考える人間のまなざしだ。(引用者強調)

    これは、瀕死の人間の、ものを見分けられなくなった人間のまなざしでもある。 

    だから、考える人間とは、瀕死の人間であり、あるいはラザロ(聖書中の人物で死後4日目にイエスによって甦生した)のごとく、

  死から甦る人物だ、おもいのままに。 いや、それほど思いのままというわけでもないが。

   テスト氏はわたしに言う。

   ―――お別れだよ。 間もなく、---------おしまいに、なる。-------- - 或るものの見方がね。

   たぶん、突然ね。 それももう直ぐさ。 

   たぶん、 今夜、機能が弱って来て、弱ってきたこと自体がだんだんわからなくなってゆくんだ---------。

でもわたしは、生涯のあいだ、この瞬間を築き上げるように努めてきたんだよ。

   たぶん、そのうち、けりがつくまえに、わたしはこの重大な瞬間を手に入れる,―――

   そして、たぶん、あるおそるべき一瞥にさらされながら、自分のすべてを支えるんだ。

   いや、不可能だね。

     臨終の苦しみのために話の辻褄が合わなくなり、苦痛が無数の楽しいイメージに浸み通り、恐怖が、過ぎ去ったすてきな

   かずかずと結びつんだ。

    だが、死とは、なんという誘惑だろう。

    想像しえないが、欲求や恐怖のさまざまなかたちを交互にとりながら精神のなかに入りこんでくるもの。

    知的な最期。思考の葬送行進曲。(引用者強調) 

  

   

  

 


 12, テスト氏の元型を探る

 

                                                                 見出しに戻る

    

そのJ デュパンたち

 エドガア・アラン・ポウ

     「困難と戦い、剣の如き鋭さで対象に迫る彼の作中の男性はポウ自身であり、輝かしき、病める、そしてすべての声が

     音楽の如き妙なる音色を帯びた彼の作中の女性も亦ポウ自身であった」という。

     遠く昭和三年に新潮社が発行した『世界文学全集』(非売品)の第11回配本(谷崎精二訳)が、若き日に耽読した痕跡を残して

     手もとにある。

     その作中人物に、テスト氏の元型があるのではないか。

       −−−−−−−ー

      あれ、あれ、コイツ狂ったように

      踊っている。

      大蜘蛛に噛まれたに違いない。  「すべて悪し」

      もう何年か前のことであるが、私はウィリャム・ルグランという人と親しくなった。

       −−−−−−−−

          という書き出しで始まる「黄金虫」

          その主人公のルグラン

          彼は、南カロライナ州のサリヴァン島に居を定めている。

          その島の潅木の藪の中の一番奥に、ルグランは自分で小さな家を建てて住む隠遁者た。

          −−−−−−−−

      彼は非常に教育があり、異常な頭脳の力を備えてはいるが、厭世思想に囚われ、忽ち熱心になるかと思うと、

      忽ちまた憂鬱に陥ったりする事がわかった。

      書物もたくさんもっていたが、稀にしかひもとかなかった。

      彼の主なる娯楽は鉄砲打ちと、漁と、それから海岸や藪の中をぶらついて、貝殻だの昆虫の標本だのを募集することであった。

       

            ーーーーーーーー

            

         「モルグ街の殺人」には、デュパン氏が登場する。

    

           −−−−−−−

        モン・マルトル街の名もない図書館で私たちは始めてあった。 

        そこで二人が偶然が偶然同じ貴重な珍書を探していたために、いっそう親しい仲になった。 二人はたびたび会った。

        フランス人が自分のことを語る時にいつも見せる率直さで、彼がつぶさに物語った一家の歴史は、非常に面白たった。

        私はまた、彼の読書の範囲の広いことにも驚嘆した。殊に狂熱的な、溌剌たる彼の想像力は私の魂を燃え立たせた。

                             #########

        彼の態度は冷静で、虚心だった。

        眼は何の表情もなく、 いつも中音の声が最高に高まった。  

        発音の明確さと慎重さがなかったら、まるで癇癪を起こしているかのように響いた。

        こうした気分になった彼を見ると、私はよく二重精神という古い哲学説について深く考えふけるのだった。

        そして、一つは創造的、もう一つは分析的な、二重のデュパンを空想して、秘かに興味を感じた。

    

            −−−−−−−

  

         「ウィリアム・ウィルスン」

             −−−−−−− 

       私の名を先ずウィリアム・ウィルスンとしておこう。

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       一体人間というものは、だんだん悪くなるものだ。

                           ### 

       実際自分は今まで夢で生きてきたのではあるまいか。 

       そして今や最も奇異なる地上の恐怖と神秘との生け贄として死んでゆくのではあるまいか。                           

                           ### 

       断末魔の苦しみに私の前に立ったのは我が敵であった。ウィルスンであった。

       彼の仮面も、外套も、投げ捨てられたまま、床の上に横たわっていた。 彼の着物の糸一本も、彼の顔の、

       その特色ある、奇異なる相好の糸一本も、極々正確に私自身でないのはなかった。

       しかし彼は最早囁きで語らなかった。 彼が喋ったあいだ、私は私自身が喋っているのだと想像することが出来た。

       「お前が勝ったのだ。 私は降参する。

       然し今後はお前とてもやはり死んでしまったのだ――現世に対し、そしてまた希望に対して。

       私の中にお前が生きていたのだ――そして私の死に於いて――実はお前自身であるこの姿によって見よ。

        ――如何に全くお前は、お前自身を殺してしまったことぞ。」  

                                       

               −−−−−−− 

     

       「アルンハイムの地所」

  
               −−−−−−− 

       エリスンは、生来運強く、天から授かった賜物を持っていた。 顔溶の品のよさと美しさとは万人に優れていた。

       その知力は、知識を得ると言うことが労苦となるより、むしろ本能であり、必然であるほどな階級に進んでいた。

                  ###

       実際高級な天才は必然的に野心を抱いているにしても、

       その最も優れた者にいたっては、所謂野心なるもの以上に超然としているということが、あって然るべきではないか。

       従って、またミルトンにもました大偉人が、古来幾人となく甘んじて沈黙と微賎との裡に暮らしたということも事実であろう。           
       もし、世の英雄偉人が偶然の出来事に迫られ、嫌々ながら力を尽くした、ということがないならば、社会は藝術の豊かな

       領土において人間の本性が為し得る、十分華々しい事業の実現を見るに至らなかったであろう。

        エリスンは音楽家にも詩人にもならなかったが、彼ほど深く音楽や詩に愛着を持ったものはいなかった。境遇次第では

        画家にならないのでもなっかた。 彫刻は正しく言えば私的な本質を持っているものだが、その範囲と結果があまり狭い

        ので彼の心を惹くに至らなかった。

                    ###

        異常な才能を持った詩人は、藝術や、教養や、または興味やの、必然的観念を保ちながら、珍奇な美をもって

        同時に精神的交差の情を感じさせるように己が趣向を飾ることが出来る。


                   ### 

         ーーーーー第二次自然ーーーーーー神でもなく、神の所産でもなく、神人の間に介在する天人の手細工という

         意味を持った自然ーーーー


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           モノス。ユナ、お前も私も愛しているあの哲学者パスカルが「すべてわれ等の推理力は、感情に屈することに於いて

               終わる」と言った言葉が如何に真であるだろう。。

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           私はポオに、テスト氏の原型を見ながら、此処まで来た。

           畢竟「テスト氏」は、『カイエ』を書くヴァレリーなのであった。

                                                        2007年8月5日  itikawa

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        そのK デ・ゼッサントたち

        さらにこれより、ユイスマンにまで遡る。

        『さかしま」』

               ######

       取り交わし、受け渡す思想の無意味さに業を煮やし、いらだち、心おだやかならず、彼(デ・ゼッサント)はあたかも、      

       あのニコル(フランスの神学者)の語った、どこにいても苦痛を感じる人のようになっていた。 そしてついには、不断に

       生肌を剥がれるような思いになり、毎朝の新聞で弁じたてられる愛国的社会的駄弁にさえ苦痛を感じるようになっ

       た。 また、思想なく文体なくして書かれた作品にさえ、全能な大衆によって成功が約束されているということに、空

       恐ろしい気持ちを抱くまでになった。

       かくして早くも彼の心は、洗練された隠遁の地、心地よい無人の境、人間的愚かさの絶えざる氾濫を遠く離れた、

       びくとも動かぬ、なまぬるい方舟を夢見つつあった。

                       

                 ######

       (デ・ゼッサントは)将来の孤独の必要によく適応させられた、細心の注意の行き届いた、閑静な住居を実現しようと

       腐心したのである。

                 ######

       彼の生活はほとんど揺るに限られていた。

       人は自分の家に孤独でいればいるほど快適であり、精神は夜の暗黒と隣り合わせに接しているときに、はじめて真の

       興奮と活気を得る、と彼は考えていた。

      

                  ######

        

        食事は複雑なものではなく、ごく軽いものであった。     (中略)   

        冬は日が落ちてから五時に、半熟卵二個と、トースト・パンと、お茶の軽い朝食を摂った。

        次の昼食は午後十一時ごろで、         (中略)

        朝の五時ごろ、寝台につく前にも、簡単な食事をしたためた。

  

                    ######

        書斎こそは、隠遁好きな生活を堅持するための設備がすっかり揃った、まことに居心地のよい、整然たる完璧な部屋だった。

                      ######

         とにかく彼には、運動というものが無益なものに思われた。 想像力をもって、容易に俗悪な現実に代用しうるものと考えた。

       

                       ######

         この詭弁にも似た欲望の屈折、知性の世界における巧妙な詐欺行為を利用しさえすれば、物質世界におけると同じく容易に、

         あらゆる点から見て本物と変わらない幻想の愉悦を味わい得るであろうもとは、疑いを容れない。

                         ######

         要はただ、如何に振る舞い、如何にして精神を一転移集中するかにある。   

         幻覚を生ぜしめ、現実そのものに、現実の夢を代置し得るまでに、一事に没頭するには、如何にすればよいかにある。 

         かくてデ・ゼッサントの眼には、人工こそ、天才の標識と思われたのであった。

                          ######

      

          彼の言によれば、自然はもう廃れているのである。     (中略)

          それに、人間の天才が想像し得ないほど精緻な、もしくは雄大な自然の創造物など、何ひとつないのである。

  

                                                        2007年8月8日  ichikawa

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            この『さかしま』は、1884年、敢行されている。 この時代、ヨーロッパ列強が形成され、フランス第三共和国が発足し、

            社会主義運動に発達期であった。フランス「自然詩」の人々の活躍時代でもあった。

            そのなかにあって、マラルメ、ユイソマンは反自然主義を孤独に貫き通した。

            「藝術、女、悪魔、神、これがユイスマンの精神生活における大きな興味の対象」であり、「意識的な想定外の表

             現や極端な表現をいつも狙っている文章」 だとヴァレリーは指摘する。

             『さかしま』の訳者渋澤龍彦氏は、

            サルトルが『ジャン・ジュネ論』において書いている、次の

            「否定の力が万象の限界を吹っ飛ばしてしまう、ランボウやニーチェのユマニスト的世界に対して、ボードレールやマナルメ

             の堅固で神学的な世界」

            があるという言葉を引用して、

             「あとがき」に

             「ユイスマンの宝石を象嵌したような、擬集力と緊縮作用にみちた象徴的世界も、明らかに後者に属するものと言って

             よかろう。

             また、ヴァレリの言葉にあるような、ユイスマンの悲惨なものに対する異常な関心ないし尊敬も、醇乎たる中世キリスト

             教的な伝統の裡のあるものと称してよい。    (中略)

             ユイスマン自身の回想するところによると『さかしま』は<隕石のように文芸市場に落ちた>のであり、<茫然自失と激怒

             を巻き起こした>のであった。      (中略)

             (1884年)、それから十年後にユイスマンは十字架を選んだのである。」

             デ・ゼッサント。

             このユイスマンの生み出した主人公は、チボーデに言わせれば「文学のロボット」である。 

             訳者によれば「この男は、自分の生きている19世紀末のブルジョワ民主主義と科学万能主義とを頭から軽蔑し、日常的な

             現実をいっさい否定し、カトリック的中世に憧れ、ひたすら感覚と趣味とを洗練させて、この世ならぬ人工的な夢幻の境に逃

             避しようとする」「この世紀末の美学の生み出した典型人物」(渋澤龍彦)だという。

              さらに氏(渋澤龍彦氏I)は、この文学的典型人物の系譜について

              「モンテスキューからデ・ゼッサントへ、デ・ゼッサントからドリアン・グレイへ」との興味深い示唆を含ませてもいる。

          

                                                       2007年8月18日   ichikawa