四万十時空風信

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 この珠玉の哲学詩は、深く静謐に問いかける。

        以下、その断片を任意に拾ってみるとー

             (「ハイデッカー選集8」高坂正顕・辻村公一訳 1960年版)


     ヨハン・ペーター・ヘーベルとは、一体如何なる人でありましょうか。


     そのことーすなわち「気高い詩」とは、一体何でありましょうか。


     つまり家の友とは、一体何者でありましょうか。

     

       家、それは世界でありますが、家の友とは、そういう家にとっての友であります。


       地球にとっての本来の家の友は,月であります。


       家の友は、月のごとく、夜ひとり目覚めているものであります。


       ヘーベルは私たちをして月の姿に、家の友の本質を読み取らせます。


   家の友は、私たちの住む世界を貫き統べている自然の諸々の出来事や

        状態の内に告示されている事柄に、思いを潜めることに心を

        傾けしめることを願っているのであります。

      


       自然の自然らしさは、太陽や月や星の上り下りであり、その上り下りは

       <世界の内に>住む人間達に、世界の玄旨に満ちた霊妙さを語りかける

             という仕方で、直接に呼びかけるのであります。


   ヘーベルは宇宙を百姓じみたものにしている。

         この(ゲーテ)の判定は如何にも過酷に響きますが、

                        それでも好意のこもったものであります。

          それのみならずこの判定は、ある一つの<間>、

                 つまりまさしくゲーテの晩年の詩作と思索とを

              絶え間なく動かしていた<間>に、触れてさえいるのであります。


          一体それは何でありましょうか。ーーーーー中略ーーーーーーーー


         すなはちそれは、現代に至るその間に測り知れず

         見通し難いものまで奔騰してしまい、吾々の時代を何処へとも知れず

         さらって行く所以のものであります。

             (中略)

         このような家の友はたしかに宇宙を百姓じみたものに仕上げます。

         しかし、百姓じみたものに仕上げるということは、すなわち人間が

         ある一層根源的な仕方で住むということに向って思いを馳せているごとき、

         建てるということの仕方であります。 

         そのためには、次のことを 心得て建てる者たちがなくてはなりません。

         すなわちそのこととは、人間は原子力によって、生きる筈はなく、

         精精のところ滅びざるを得ない、つまり彼の本質を失はざるを得ない、

         ということであり、而も原子力が専ら平和的諸目的のためにのみ使用され、

         これらの諸目的が人間のすべての目標定立と使命とに対して

         唯一の基準を与えるものとされる場合に於いてさえも、

         そうならざるを得ない(滅び去ってゆく)ということであります。


  以上のように

  これまでハイデッカーのコトバを長々引用させて頂いたが、これは、昭和55年当時の

  「窪川原発騒動」のころ、私のバイブルであった。

  その少し前に、独自の「窪川農村空間計画」という、農村復権を目指したプランを作成していた。

  もはや遠き日であるが、この地域定住計画のバック・イデーは、ハイデッカーの 

  「逗留するということ」を思想的源泉とすろものであった。

   現下、彼の言葉は、その思想感覚は、まさに予言者のそれである。 

   私はいまも、いや一層に、そのあたりからの出直し出発が、

   生存の回路として、何としても必要不可欠だと思う。

   

  ところで、今日は大晦日。

  長男、帰郷。明日に祈る。     

                 

                2006年12月31日 午後5時