2009年06月03日(水)
「とあるエチュード」ー遙かの人にー [遺書的習作試行]
―交響する魂たちの、ひとつの入り江―
市川 和男 (起草09年5月24日)
五月のわが家の石庭を、みどりの風が薫りを残して渡る。
その前景に広がる田んぼの水面が夕陽にきらめく。
わたしは、それを縁側から眺め、越し方を思い感慨にふける。
そしてわたしも同様に思う。
東の空から、いまも語りかけてくる予見者たちの声が聞こえるようだ。
この人類の師たちは、すでにすべてを語っているのだと、感慨にふける。
時系列に振り返ると、西暦紀元以前のすでに普遍的なロゴスとパトスは語られているように思う。
たとえば、単純に年表を追うと、
釈迦が出現したのが、前465−前386、もしくは、前565−前486。
プラトンは、前424−前347、もしくは前428−前34。
荘子は、前369−前286。
仏教、道教、儒教、古代ギリシャ文明が人類史を開花させることになった。
それらの思想は、おおむね個別に分化・分類せず、総合的・総体的に個人・自己・社会・世界を通低する、実に普遍的なものであった
そして、イエス・キリスト出現となる。
その後、キリスト教文化が世界史に深く根づいて、その大きな幹は曲がりくねりながらも、今日に至っている。
その一方で、およそ2000年前古代地中海沿岸に空前絶後といわれるローマ帝国が誕生した。
ローマ人は強靭なリアリズムで、幾多の試練、困難を越え今から1500年前の紀元5世紀に至るまでローマ帝国西方は続いた。
残った東方部は、1458年トルコに滅ぼされるまで、首都はギリシャ正教の中心地としてビザンチン文明を生み出した。
ローマ帝国は、地中海世界のみならず現在の西ヨーロッパ全域をエリヤとして数世紀にもわたりおさめ、今に至る数多くの世界遺産に象徴される文明の華を咲かせたのであった。
ローマからイスラエルへ、コ―ランの声と共に時代は大きく変貌しながら流れた。
アブラハム、モ―ゼ、イエスに続く最後の預言者とされるムハンマド(マホメット)によりイスラム教が成立したのが、610年。
日本では飛鳥時代で、わが国の仏教興隆に尽くした政治家であり思想家であった聖徳太子が、薬師三尊を安置したのに始まるといわれる奈良の聖徳宗総本山「法隆寺」の開基創建が、607年。
聖徳太子、574年―622年。
アラビアのメッカに生まれたイスラム教の開祖ムハンマドは、571頃―632年。
<イスラム>ちは、アラビア語で<委ねる>という意味だという。
ここでは「神に自己のすべてを委ねる」生き方をさしている。
ちなみに、わたしは、洋の東西を問わず日本仏教の祖師たちの「任運」問い言葉を連想する。そこには何か、自己放擲とも通ずる言葉・想念だ。
ところで、
時代は移り日本では、平安仏教確立者で、真言密教を日本に定着させた弘法大師空海という偉大なの存在がある。
空海、774年―835年。 ついで、真義真言宗を提唱して『蜜厳諸秘釈』を著した特異な僧
覚鑁、1095年−1143年。
鎌倉初期、称名念仏に専修する悟りを得て、浄土宗の開祖となり、日本浄土教の礎を築いた法然房厳空、1133年―1212年。
浄土門下にあって、巨大な思想家であり、「自然法爾」「正定聚」の境位を最後の到達点とした浄土真宗の開祖・親鸞、1173年―1262年。
透徹した詩的雰囲気を醸し出す超脱の哲人道元禅師は、その卓越の思索と思想が刻まれている『正法眼蔵』という極めて透明度の深い思想的文化遺産を残した。
曹洞宗の開祖・道元、1200年―1253年。
この当時、
知的暗黒時代と呼ばれたヨーロッパ中世全体は、途轍もなく長い歳月を経験するのであるが、やがて、13世紀から15世紀にかけて人類史上不朽の文化がそう創造されたルネサンス期に到達した。
ルネサンス人たちの視線が注がれたのは、古代のローマであり、古代のギリシャであった。その意味で、反キリスト教的な要素を宿した「古代復興」運動であった。
わたしはこのような、プシューケーの底流に沿って、ルネサンス以降の、かつて根深く魅せられた一風変わった感性と、その神秘的な、かつ幻想的なものの発露を、今の年齢になっても、なお繰り返し追っているのである。
それは、
ブレイク、1757年―1827年。
ポ―、1809年―1849年。
ランボ―、1854年―1891年。
ニ―チェ、1844年―1900年。
リルケ、1875年―1926年。
そして、ト―マス・マン、1875年―1955年。
ところで、
先日(2009年5月20日)の新聞に、82歳の北杜夫さんの談話が掲載されていた。
そのなかで
「十年ぐらい前、腰も痛いし歯も痛いしで、嫌になって <ならるだけ早い自然死を望みます。世を捨てた北杜夫>という年賀状を出しました。や、本気で書いたんですよ。やっぱり僕には天然のユーモアがありましから。
ところが人生を捨てると、かえってストレスがなくて長生きをする。ストレスというのは大変なものですな。
今も楽しいことは特にないですねえ。<死を待つのみ>という感じでいようかと思っています」
そう語る北杜夫さんは、<そううつ>でも有名だ。
その彼は、<そう>は魔の季節。<うつ>は虫の冬眠としょうしているという。
ペンネ―ムについて
”北杜夫”という、”北”は松本とか仙台など寒いところに住んでいたからで、肝心の”杜夫”というのは、ト―マス・マンの芸術家としての生き方を問うた傑作「トニオ・クレ―ゲル」が由来だそうだ。(トニオ・クレ―ゲルは、社会と芸術の狭間で苦悩し、作家になってふるさとを訪れるが、その心象風景の美しい作品)
”杜二夫(トニオ)”から、「北杜夫」になったという。
わたしはこの記事がきっかけで、書庫を振り返った。トーマス・マンの作品である。
『ブッデンブローク家』から
「(前略)時々彼は、小さなテラスのうえにある葡萄の葉むらにすっかり被われた園亭に坐って、何を見るということもなく、庭ごしに家の背後の赤い塀を眺めるのであった。
大気は暖かく甘美で、静かな物音があたりから彼の心を和らげるように語りかけ、彼を眠らせようとするかのようであった。
虚空を眺めることに疲れ、孤独と沈黙に疲れ、彼は時折眼を閉じてまたすぐ眼を見開き、慌しく静寂を追い払おうとした。
俺は考えなければいけない、と彼はほとんど声に出るほど呟いた。
----余りに遅すぎるようにならないうちに、俺はすべてを整理しなくてはならない----
しかしこの園亭で、黄色の小さな揺り籐椅子に坐って、彼は或る日、四時間も次第に心をうばわれてゆきながら一冊の書物を読み耽った。
(中略)
或る何とも知れない大きな感謝すべき安らぎを彼を満たした。一個の力強く卓越した頭脳が、生を、このかくも強く恐ろしく嘲笑的な生を、圧服し判決しようとして自分のものとするのを見て、たとえようもない満ち足りた心持を味わうのであった。(後略)」
☆ ☆ ☆
五月のわが家の石庭を、みどりの風が薫りを残して渡る。その前景に広がる田んぼの水面が夕陽にきらめく。
わたしは、それを縁側から眺め、越し方を思い感慨にふける。
そしてわたしも同様に思う。
「虚空を眺めることに疲れ、孤独と沈黙に疲れ、彼は時折眼を閉じてまたすぐ眼を見開き、慌しく静寂を追い払おうとした。
俺は考えなければいけない、と彼はほとんど声に出るほど呟いた。
--------余りに遅すぎるようにならないうちに、俺はすべてをせいりしなくてはならない----」と。
前掲のトーマス・マンに出てくる書物は、ショーペンハウェルの哲学書であったが、わたしの場合は、「華厳経」関係図書である。
次の言葉にも「華厳世界」の思想が、その教えがひそかに響き渡っているかのようだ。
トーマス・マンの作品『魔の山』から
「人間の夢と詩
人間は、生と死、健康と病気、精神と自然、というようなさまざまな対立の支配者であり、そうした対立は人間によって存在するものであるから、人間がそれかの対立より貴いのだ。死よりも貴く、死にとってはあまりに貴すぎるくらいだ、と考えるのは人間の自由である。
生よりも貴く、生にとってはあまりに貴すぎるくらいだ、と考えるのは人間のハートにおける敬虔さある。これでぼくはひとつの語呂を合わせたわけだ、人間の夢の詩を。
(中略)
死と愛-------それはまずい語呂で、愚劣な、狂った語呂だ!
愛は死に対抗し、ただ愛だけが死よりも強いのであって、理性ではない。
善意ある思想を与えるのは愛であり、理性ではない。
形式もまた、ただ愛と善意とから出て来るものだ、血の饗宴を静かに眺めながらする、思いやりがあり、愛情がある社会と美しい人間国家との、形式と礼節とは。
おお、ぼくははっきり夢見たし、うまい陣立てが出来上がったのだ。(中略)
人間は、善意と愛とのために、死にその思想を支配させてはならないのだ。」
* * *
「---------彼は絶え絶えな息を利用して、小声で「菩提樹の歌」を口ずさんでいる。
我は刻みぬかの幹に
美し言葉の数々を-------
(中略)
彼は立ち上がり、泥が重たくついた靴を引きずり、跛をひきながら、蹌踉としてまた歩き始め、無意識に歌った。
枝は――そよ――ぎぬ
我をいざなうごと――
そして彼は混乱のなかへ、雨の中へ、黄昏のなかへ、私たちの眼から消えていった。
さようなら、ハンス・カストルプ、人生の誠実な厄介息子! これでお前の物語は終わった。私たちはお前の話を終わった。短すぎも長すぎもしない錬金術的な話しであった。
(中略)
御機嫌よう! ――生きているにしても倒れているにしても、お前の行く手は暗い。お前が巻き込まれた血腥い乱舞はまだ何年も続くだろうが、私たちはお前が無事で帰ることは覚束ないのではないかと思っている。実を言うと、私たちはそれをどちらとも思い煩わない。お前の単純さを複雑にしてくれた肉体と精神との冒険で、お前は<陣取り>によって、死と肉体の放縦との中から愛の夢がほのぼのと誕生する瞬間を経験した。全世界の死の乱舞の中からも――雨混りの夕空を焦がしている陰惨なヒステリックな焔の中からも、いつか愛が誕生するであろうか?
終 」
☆ ☆ ☆
『魔の山』は、こうして物語りを終えるのに、どうしたことだろう。
じつにさわやかのである。
いまここにきて、
何かすがすがしい残り香が、わたしを包み込んでいる。
ドイツの長い間の慣わしに、遍歴の旅がある。
マイスターを訪ね、そのもとでする人生修行がある。その期間は7年間とされていた。
華厳世界での善財童子も求道の旅をした。
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』のなかでの『徒弟時代』に次の一節がある。
「わたしにはほとんど戒律というものの覚えがありません。わたしには、何ひとつ掟という形で現れたものはありません。
わたしを導くもの、しかも常に正道に導いてあやまたないもの、それはひとつの衝動です。わたしは自由な気持ちで心の欲するところに従います。それでも何らかの拘束も悔恨の情をも知りません。
有難いことにわたしはこの幸福が誰のお蔭なのか知っています。そしてこういう自分の長所を思うにつけても、ひたすら心のへり下がるのを感ずるのみです。
なぜなら、もしより高い力がわたしどもを護って下されなければ、おしなべて人間の胸の中には、いかなる怪物が生まれ、且つ育たぬものでもないということを、わたしははっきり知っていました。それだけに自分の才能や力量などを鼻にかけて誇りとするような危険には決して陥らないであろう、そう思うからです」
と、このようにある。
ここには、遠く東洋の「タオ」の流れに行き交う感性というか、仏教思想の源流の息づくのが感じられる。
ともかく、スイス・ダボスの標高1560メート高地にあるサナトリウムが『魔の山』の舞台であったが、その隔離された世界にあって『魔の山』の主人公ハンスも、精神的空間を遍歴する求道の7年間であった。
『魔の山』という十九世紀のドイツ文学の最高峰から見たものは、今にしていったい何であったのか。
わたしには、今の私自身にとって、改めて切実な問題として突き刺さってくるものが、ここにはあるようだ。
それと同時に、二十一世紀がスタートして間もなく迎えた、地球的・人類史的クライシスを予見するものではなかったか、と思われる。
欲望の虜となった現代社会。静寂を失ってしまい刺激を果てしなく追い求める現実社会。
まるで華厳経に背いてしまって、行き場をなくしたかのようだ。
”教えに背く”とは、この世に地獄を出現させるということだ。
人間の欲望の果てしなさを病巣とする、これでもか式の、効率一辺倒
で臆面もない野放し商業、グローバル至上の金融資本主義は、人類史上
最も深刻な犯罪を再生産して止むことがない。
(【シ・マムタ論壇】参照)
ト―マス・マンが
「お前の行く手は暗い。お前が巻き込まれた血腥い乱舞はまだ何年も続くだろうが、私たちはお前が無事で帰ることは覚束ないのではないかと思っている」
と書いたその<お前>が、いまや、わたしと、そして、さらに現在と
いう魔の時節の底なし沼と二重写しになっているかのように見える。
プシュケーの時空を超える流れを追って、わたしはグルグルと、ただ
ひたすらに周っているだけだ。
それは「魔の山」から見えるひとつの思想的舞踏であり、わたしだけ
の直感が垣間見た想念の行き交う港なのかも知れない。
向こうの方からくるもの
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2009年05月28日(木)
幻想・高次元実在の投影 [想念の機撤]
直感から離れざるもの
プラトンのプシューケー観の総合的・夢幻的次元。
ドストエフスキーの描いたアリョーシャは観音菩薩だ、
という独創的な幻想性。
ブレイクの詩”一粒の砂”にみる壮大な華厳の幻想性との類似。
シュタイナーの人智学的超感覚界に映る心象。
華厳の第十地「法雲地」の光明世界の宇宙幻想
道元の「山水」「渓声」透明な覚醒の精神的時空の幻想性。
良寛の「天上大風」「天真」に流れ込む幻想性。
宮沢賢治の銀河系宇宙の超感覚的風景の幻想性。
いったい幻想とは何か。
それは、一層高次の現実ではないのか。
精神世界の顕現した実在なのではないか。
見えない実相であり、普遍的実像がそこにあるのでは。
壮大な幻想物語がそこにあるのではないだろうか。
「感覚界、感覚的・可視的な存在のなかに現れるものは、
すべてその背後に横たわる不可視で超感覚的な存在の外見であると 感じるのは、大きな意味のあることです」
(ルドルフ・シュタイナー『黙示録の秘密』)
「プラトンは、新しい魂の概念を基礎として、身体・社会・自然世 界をつらぬいて、ロゴスに従いながら、有機的連関をもつ反二元論 的な世界像を展開している。(中略)魂を喪失した人間とは、はた して人間たりうるのだろうか。われわれ自身の自己理解と世界理解 とを、ふたたび根本的に問い直す必要があるだろう。われわrの自 己と世界の理解を問いかけてやまない知の深く澄みきった源泉が、 プラトンの魂観と世界像のなかには尽きることなく確かに存在して いるのである」
(瀬口昌久著『魂と世界ープラトンの反二元論的世界像』)
「空海はすでに、自己を密教の宇宙観によって抽象化してしまって いる。その抽象化された空の一点であることが、即身にして大日如 来に鳴ることであり、(中略)かれの思想でいえば普遍存在として の人類ということであった」
(司馬遼太郎『空海の世界』)
内にこもった求道の、愚なるわたしの迷い旅は、どこということも
なく続く----。
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2009年05月26日(火)
遡及からの視線 [想念の機撤]
交錯する精神史への管見
わたしは常日頃、こう思ってきた。
道元の源泉には「華厳」がある。
「華厳」の奥座敷には「荘子」がある。
道元の内実を継いだ良寛の座右には、「荘子」があった。
良寛の
「騰々 天真に任せす」
「騰々任運 誰か看るを得ん」
「騰々 しばらく縁に任す」
道元の
「この座禅人、確爾として心身脱落し、従来雑繪穢の知見思量を裁断し
て、天真の仏法に証会す」
「天真」とは、一般的に天真爛漫の天真で、天のように純真な、天然自
然のまま、ありのままで作為がなく偽り飾らずないことだ。
わたしは、これは親鸞が晩年到達した「自然法爾」という思想の原型
だと思う。
『荘子』の、
万物のあるがままの相と一体となることを説いた「斉物論」と全く同
次元の思想を感じ取っている。
道元禅師の『山水経』にいう「山水」は「尽十方」の意を指している。
「乗雲の道徳、かならず山より通達す、順風の妙功、さだめて山より透
脱するなり」という。
この「乗雲」は、
『荘子』にある「乗彼白雲」から、そして順風」は、同じく、
「『荘子』の「順下風」によるものとされている。
また「水」を「仏土」とは不即不離であり、
「一滴の水」のなかに「「無量の仏国土」が現成しているのである。
まさに世紀を超えて、時空無量といえよう。「道交感応」がある。
遥か世紀前の中国、インド、ギリシャ。
そこに出現した、老荘思想、釈迦、キリスト、プラトンたちの発想と
イデァや人類への根源的な教え。
世紀前、すでにそこに自分たちにとって一番大切なことは言い尽くさ
れているうにようにわたしには思われる。
そして日本中世に活躍した祖師たちが仰ぎ見たもの、鎌倉の動乱の泥
土に花開いた蓮華の仏教思想を遡及すれば、世紀前のそこが源流なので
ある。
それはさらに、波長の長い大きな精神史の滔々たる流れとなって、今
世紀の破壊寸前のような今に至っている。
それゆえ、そのことにわたしはひとしお打たれるのである。
「一即一切」=「天真」=「自然法爾」の精神構図。
「蜜厳浄土」と「華厳浄土」の交感するところ。
わたしはこれらについて、透徹てきな研究者や予見的な賢者たちの声
を頼りに、折々、尋ねてとぼとぼ愚直に歩んでみたいと思う昨今だ。
Posted by ichikawa at 16時57分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2009年05月22日(金)
華厳世界に離反した現代の洞窟からの遠望−1 [想念の機撤]
華厳世界がブレイクの作品のなかに見えるのである。
ということは、そこに、道元、法然、親鸞、良寛が見えるということ
である。さらに遡及すれば、荘子のタオも遠望されるということだ。
無心のまえぶれ(ブレイク)
ひとつぶの砂にも世界を
いちりんの野の花にも天国を見
きみのたなごごころに無限を
そしてひとときのうちに永遠をとらえる
(中略)
哲学者自身がびっこをひいている
目に見えるものを物差しにして疑うものは
決して信仰の境地に入れぬ どう工夫しても
太陽や月が万が一疑うとしたら
この二つはたちまち消えて無くなろう
怒りをそとに出すのは時に身のくすり
しかし怒りを内に貯えるのは何の役にもたたぬ
わたしは、驚愕をもってこの前のブログの文で、次のように書いた。
<時空を超えて日本仏教の流れに近しいのを、私は実感する。ここに
も、親鸞の思想を見るし、また現代の深層に通底するものをも感ずる。
その詩は、全く華厳経の宇宙を現じているようだ。
このように書いた後、【松岡正剛の千夜千冊】で、ブレイクは「世界最
初のキリスト教無心論者なのである」と断定しているのを知った。
そしてこうも書いている。
「ウィリアム・ブレイクの名はそうとうに知られていると思うのだが、ブレイクを論じたり語ったりすることは、どうも日本人は苦手らしい。並河亮を除いて、本格的なむろん、気の利いたものも読んだおぼえがない」
との言葉に誘われて、並河亮の『ブレイクの生涯と作品』『ボロブドール―華厳経の世界』などを取り寄せ目を通しているところだ。
そこにはわたしの予期していた言葉が光っていた。
「仏教学者でもない私がボロブドールに関心をもつにいたったのは、18世紀後半から19世紀前半期に生きた、イギリスの詩人で画家でもあるウィリアム・ブレイクについて研究を進めているとき、ブレイクの短詩に
一粒の砂に世界を見
一輪の野の花にも天国を見る。
あなたの手のひらにに無限を
ひとときのうちに永劫をとらえる。
というのがあり、それが『華厳経』の思想とまったく同じであることを知って驚いたのが動機である。
一刹那が永遠につらなり、最も小さい物の中にも大宇宙が宿っているという『華厳経』は非常に現代的な思想であるが、この経典によって奈良の大仏がつくられていること、そしてジャワでは主としてこの経典をもとにしてボロブドールが建造されていることを知り、ボロブドールへの興味が高まったのである」
との一文が<まえがき>にあるのは、わたしの先に直感したものを確
認してあまりあるのであった。
壮大悠久の宇宙観を蔵する華厳経は、智の文殊菩薩の理論系統として
行を説く部分と、十地の行法を説く部分、そして実践智を象徴する普賢
菩薩の説く行の部分の三部構成になっている。
この経典の修行の実践を具象的に描いた『入法界品』。
ここには善財童子の普賢菩薩に導かれる求道の旅が鮮明に刻み込まれ
ている。
氏は
「釈尊は入滅したが、釈尊の永遠の人格は存在している。永遠に不滅の釈尊の本体、それが毘廬遮那仏の放つ光の粒子を『華厳世界品』においては多くの仏の出現として述べ、<世尊の光の照らすところ衆生は仏となる><仏身は普く大光明を放ち、色相無辺>と説いて、じつに強烈な光、または太陽の讃美に終始しているのである。これは一種の太陽信仰というほかはない。 (中略)
禅はその端的な行為主義的立場を裏づけるものとして華厳思想を継承していることに注目すべきであろう。道元禅師の『正法眼蔵』は華厳の生命力、性起の展開とみていいであろう。道元の<現成>という考え方も、疑いもなく華厳の性起ではあるまいか」
このような氏の視線にわたしは全く共感するし、
この辺りの想念は、大正時代に光明主義を提唱した弁栄の視線と共に
わたしの脳裏を長年にわたり占めている関心事である。
並河亮は、この本の終わりのほうで、
「釈尊が探究したのは人間いかに生くべきかという根本的な問題であった。彼は人間の尊厳を説き、あらゆる苦しみの源である欲望を抑えよ、すべて形あるものは滅す、ものに執着するな、いたわりと慈愛をもって人に尽くし、心のやすらぎを得よ、と説き、それを実行した。
それはもっとも単純な、深い、永遠の真理であった。
その真理に感動した王や高僧がここにいたのである。
確かにいたのである。しかし、その王の名はわからない。
その高僧の名もわからない。彼らは、この巨大な建造物を20世紀のわれわれに残したまま、風のごとく去った」
と、記されている。
この本の醸し出す雰囲気は、わたしの内部の奥深くに言葉にならない
ような感銘をどこまでも浸透させている。
ここでも、わたしは、並河亮氏の「ブレイク」と共に「ボロブドー
ル」などについての業績に学びたい今日このころではある。
それは、冒頭に標した偉大な賢人たちの辿った遥かな道のりを想起さ
せるものだ。
同時に、というより、むしろそれ以上に、華厳経に背いてしまったこ
とさえ自覚しない現代という、いっそう暗い洞窟の時代に戦慄をおぼえ
る。そんな罪深い現在性の出現にどう対処したらいいのか。
あまりにもおぞましい限りではある。
2009年5月17日 市川 和男
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2009年05月10日(日)
ボロブドール回想への灯火 [想念の機撤]
「ブレイクの精神丘」から、今度は「華厳の時空」への行路。
それはつまり、アリョーシャというドストエフスキーが創作の巧みの
果てに突如現れた幻、予言的な作家ドストエフスキーの実感した幻であ
るアリョーシャと、華厳経のなかに巧みに描かれた善財童子の求道の旅
の物語が、私の内部で交錯している軌跡の追認なのである。
ブレイクは、その詩に華厳経の思想を照らし出しているかのようだ。
普賢菩薩の住まう場の光線が、わたしをほのかに照らす。
そして、再びボロブドールへの思い出が私をいざなう。
スマトラ旅行の時のことだ。
「 ス マ ト ラーフォーラス(神の祝福をあなたに)ー」に、その時の
感慨を、次のように書き記したことであった。
☆ ☆ ☆
平成7年。定年退職して2年目の夏のことである。
「インドネシヤに旅行してみないか」
突如そんな電話があった。
或る病院の院長N先輩からである。
一行四人の一人になった。
夕暮れの雨のシンガポールに1泊。
翌日、初めて降り立ったメダンは、何か騒々しく、なぜか戦争の臭い
を感じ、敗戦直後の日本が連想された。
北スマトラに現地人の案内で車で走る。
車窓からカンナの深紅が目に染みた。
火輪下に椰子の木陰やカンナ燃ゆ
椰子の林に裸足の少年が顔を見せた。
ドッキとするほど澄んだ目である。その表情は思わず涙ぐむほど清浄
で、懐かしい気がした。
無垢の目に真夏のひかり輝けり
(中略)
再びメダン。
そこから空路でジャワ島ジョグ・ジャカルタ空港へー。
世界有数の巡礼の聖地ボロブドールがそこにある。
巡礼の旅人はボロブドール寺院の回廊を十周して悟りの境地を次第に
昇る。
最上段は形のない世界、つまり「無形(ムギョウ)の世界」を顕してい
るという。
灼ける空のもとの静寂な安らぎの仏空間である。
空灼けて無形の世界仏遺跡
そこからやがて人々は、再び世俗の世界に降りてくるのである。
ただここに来る前とは違う眼差しをもって。
この旅行から時は夢のごとく流れた。
この時のN先輩はもうこの世にはいない。
ボロブドールの最上段のような、あの「無形の世界」にいるのかも知
れない。
それともジョグ・ジャカルタでの繊細優美なラーマヤナ物語の踊り、
その美女たちを今も見ているのか。
それぞれの脳の鏡に映る越し方ではある。 (中略)
あの海外旅行から、もう四年になろうとしている。
矢のごとく、夢のごとくでもある。
赤道直下の八月であったが、思ったほど暑くはなかった。
わたしには日本を外から見ることの出来た旅であった。
日本で失われたものを見る旅であった。
親の仕事を手伝う子供たちの澄んだ目や無垢な表情が今なお印象的だ。
トバ湖の深い静けさ。サモシール島の太陽信仰。
いのちのリズムが、そこにはベールに覆い隠されていなかった。
とは言え、近代化の波はここにも確実に押し寄せていた。
時折見せる住民の顔の裏側にその影響があった。
それにしても、繊細優美なラーマヤナ物語りの踊りには、ぞっこん魅
せられた。
また、神秘的な焼ける空のもとのボロブドールの仏遺跡ーー。
遠くにいったもの、失われたもの。
超し方は、どこか美しく脳に刻まれているものだ。
この時、カンポン・リンガ村で求めた瓢箪のような置物「ラブ」(L
AB)がこの旅の思い出を今に書斎の片隅でそっと語りかけている。
(平成11年6月草す 市川 和男)
☆ ☆ ☆
その時節からちょうど十年を経た。
きわめて魅惑的な感性の所有者である中沢新一氏は『ミクロコスモス
U』の終わりに次のように書かれている。
「ぼくはこの世界に未出現のものにつながりをもっている。
その未出現のものをこの世界に出現させるために、そしてただそれだけのために、自分の人生はある。
ほかのことは、たいして意味はない。
実現されてしまった現在には、たいして関心がない。
実現されなかった過去と、まだ可能性だけの未来にしか、ぼくは興味をいだくことがない。
二十歳になったときも、ぼくは同じことしか考えていなかった。
自分で心配していた以上の破綻もなく、なんとか大人になることができた。
しかし、二十年の倍をこえる時間を生きてしまった今でも、なんとぼくは同じことを考えつづけている。
”もういいかい”と呼びかけると、その未出現のものは、いまも
”まあだだよ”と応えてくるのだ」と。
げにさもあらん。
時に、わたしは後期高齢者入りをして、書棚に息を潜めている本の
数々を開くと、かつて自分の覚書やそのとき引いた傍線で気づくまで、
古本でも内容はまるで新刊の感じでちょっと新鮮なのだ。
しかし、やはり、いまもほとんど同じ視線でもって見ていることを知
り、しばし感慨にふけざるを得ないのである。
どうもそのあたりを、いつまでも、らせん状に繰り返しながらながら
も、多少は深めたり、あるいは放下したりしているのかも知れない。
思い出の象徴が
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2009年05月09日(土)
「ブレイクの精神丘」に立ちて [想念の機撤]
ブレイクの「精神丘」への眺望
貴重本としてわたしの書斎奥深く秘蔵されている本のなかに『ブレイクの言葉』がある。
この本は、柳宗悦が訳出し、編集したものだ。
預言詩集に添えた銅版画の挿絵や水彩画、その題材の多くは旧約聖書や新約聖からのものだ。
「すべては寂静であつ。だがすべては動律する」という木版画、ダンテ「神曲」の地獄の挿絵など36図が掲載されている。大正十年の叢文閣・発行本である。
この時代、「本」は消費財ではなかった。「本」には自ずからなる品格が備わっていた。
訳者柳宗悦はこの本の序で
「或る人はその激しい言葉に時として思い迷うかも知れぬ。然しブレーク自身が巧みに云った様に”激怒する虎は訓練された馬より賢い”。小人の完全よりも、天才の欠点がより多い真理を含んでいる」
と、1921年8月に書いている。
1790年、ブレイク33歳の時の作品に「天国と地獄との婚姻」がある。
その散文詩には、
「新しい天国は開かれた。その降来からまさに三十有三年。永遠の地獄もまた甦る。」
(―スキップ―)
「 ―――――――
天使どもには恰も煩悩であり狂気であるかの様に見られていたが、自分が天才の快
楽に歓喜して、地獄の火焔の中を歩き廻った時、自分はそこで幾つかの箴言を集めた。
兎も角一国で用いられている言葉には特色があるから、地獄の箴言にも建物や衣
装の説明より勝った下界の知恵があると自分は考えたのである。
自分が家に帰ってきた時、この現世に眉を顰めながら聳えている絶壁を持った五感
の深淵の上に、一人の強大な悪魔が黒雲に包まれながら、岩の傍を飛翔するのを見た。
彼は燃え上がる焔で、誰の心にも見え、また地上の誰からも読まれるところに、次
のような文字を書いた。
空の道を切って飛ぶすべての鳥には無限の悦楽がある。
それが汝の五感に塞がれているのをどうして汝は知り得よう
――――――― 」
(―スキップ―)
「 ―――――――
六千年の終わりに於いて、この世界が火の中に消滅するという古い伝説は真理だ。
私はそれを地獄から聞いた。−−−−
今は有限に見え汚れて見えるが、すべての造化は消滅し、かくして無限と聖さとを
現してくる。
これは感覚的享楽の改善によって到来する。しかし先ず人間が精神から離れた肉体
を持っているという考えを取り去らねばならぬ。
若しも知覚の戸を清めるなばば、一切のものは人間に無限なものとして現れてくる。
――――――― 」
(『ブレイク詩集』壽岳文章訳)
ところで『嵐が丘』のキャサリンも天国に行った夢を見る。
「もしあたしが天国へ行ったらねえ、ネリー、あたしはとてもみじめだろうと思うわ」
「あなたが天国へゆくがらでないからでしょう。罪びとはみんな天国へ行ったらみじめ
ですよ」
「でもそういうことじゃないのよ、天国へ行った夢を見たことがあるのよ」
「夢の話は聞きません。キャサリンさん! あたしは行ってもう寝ます」
こう言って、もう一度私はさえぎりました。
嬢さんは笑って、椅子から立ち上がろうと動きかけた私を引き止めました。
「なんでもないことなの、天国ってところは、あたしの住むところじゃなさそうだと言
いたかっただけ、だからあたしは、地上へ帰りたくて、胸の張り裂けるほど悲しんで泣
いてたの。天使たちがとてもおこって、嵐が丘のてっぺんの荒地のまんなかへあたしを
投げ落としたの。で、そこで、うれし泣きに泣いていることろでもがさめたの。(後略)」
「天使」というブレイクの詩もある。
天使
わたしは一つの夢を見た!
その夢の心はなに?
わたしは ひとりの天使に守られた
未婚の女王さま それなのに
切ない悲しみの はれるひまもなかった!
そして わたしは泣いた 夜も昼も
そして かれはわたしの涙をぬぐってくれた
そして わたしは泣いた 夜も昼も
そして かれから隠した わたしの心の喜びを
そこでかれは 翼に乗って 飛び去った
やがて朝が ばら色にあからんだ
わたしの涙を乾し わたしの恐怖を武装した
一万もの 楯や槍で
まもなく わたしの天使はもどってきた
わたしは武装しており 天使は近寄れない
青春の時は飛ぶ去り
そして白髪が わたしの頭にあった
(『ブレイク詩集』壽岳文章訳)
エミリのキャサリンが体験したものと、ブレイクが見た天国と地獄の婚姻には、何か
精神の奥深い内部で響き会っているかのような、えもいわれぬ波長が通じ合っているの
が私には感じられる。
私はエミリーの「嵐が丘」から、遠くブレイクの「精神丘」を眺望しているのである。
そのブレイクの人となりを物語るものに「ロビンソンの日記」がある。
その中の記録の一編を柳宗悦は訳出し紹介している。
それによると
☆ ☆ ☆
1825年12月10日
私はこの非凡な人との会話に就いて、回想し得る凡てを、別に方法もなく想い
出されるままに書き下ろしたいと思う。
私は彼を芸術家または天才と名づけようか、また神秘家もしくは狂者と云おう
か。おそらく彼はその凡てである。
彼は最も興味ある風采を持っておった。彼はすでに年をとっている。
青ざめたソクラテス風の顔つきで非常に温和な表情があった。だがもう衰弱が
近づいている。しかし表情によって彼の容貌が活き活きしてくる時はそうではな
い。その時は彼の周囲に天啓の霊気が漂っている。会話は芸術について、詩歌に
ついて、宗教についてであった。(後略)
☆ ☆ ☆
ブレイクは、ロビンソンにこんなことを言ったという。
「私は死というものを、室から他の室へ移り行く以上のものとは考えない」
「人は悪魔と天使を共にもって生まれている」
「私は何か非常にいい点を持っていない非常に悪い人間を見たことがない」
(『ロビンソンの日記より』柳宗悦訳出から)
時空を超えて日本仏教の流れにも近しいのを、私は実感する。
ここにも、親鸞の思想を見るし、また現代の深層に通底するものをも感ずる。
そして 次の詩は、全く華厳経の宇宙を現じているようだ。
無心のまえぶれ
ひとつぶの砂にも世界を
いちりんの野の花にも天国を見
きみのたなごごころに無限を
そしてひとときのうちに永遠をとらえる
籠にとらわれた赤い胸毛の駒鳥は
天国じゅうを憤らせる
鳩舎に家鳩と野鳩をびっしりつめこめば
地獄は隅隅まで身震いする
(中略)
哲学者自身がびっこをひいている
目に見えるものを物差しにして疑うものは
決して信仰の境地に入れぬ どう工夫しても
太陽や月が万が一疑うとしたら
この二つはたちまち消えて無くなろう
怒りをそとに出すのは時に身のくすり
しかし怒りを内に貯えるのは何の役にもたたぬ
(中略)
街から街へ客を呼んで歩くあの娼婦の叫びは
老いたイギリスの経かたびらを織る
ばくちに勝ったもののわめき 負けたものの呪いが
死んだイギリスの棺架を前にして織る
夜ごと 朝ごと
苦しみへと生まれるものあり
朝ごと 夜ごと
ここちよい喜びへと生まれるものあり
ここちよい喜びへと生まれるものあり
無明の長夜へと生まれるものあり
われわれが嘘をまことと信ずるようになるのは
目を道してものを見抜かないとき
その目は一夜で滅ぶべく一夜で生まれた
たましいが光の輝きの中に眠っているときに
神が姿をあらわす 神は
夜に住むあの哀れなたましいの持ち主には
しかし神ははっきりと人間の形を示す
真昼の領分に住む人たちには (『ブレイク詩集』壽岳文章訳)
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2009年05月04日(月)
嵐が丘の印象線上で [想念の機撤]
「嵐が丘」の印象今昔 −2
作中、その終わりのほうで家政婦ネリーに
「ネリー、不思議な変化がいま近づいている」
と語りかけるヒースクリフは、キャサリンの面影を追いながら、うめくように云う。
「おれにとって彼女を連想させないものといったら、何がある?
彼女を思い出せないものがひとつでもあるか?
この床を見下ろしたって、彼女の顔かたちが敷石のなかに現れているのを見ずには居られないのだ!
どの雲も、どの木立も、――夜は空中いっぱいに、昼はどんな物でも見さえすればそこに見つかるほど――おれは彼女の姿にとりかこまれているよ! ――男や女のどんな平凡な顔でも――おれの顔までも――どこか似ていておれを悩ますんだ。
なんのことはない、全世界が『彼女は生きていた、おれはあのひとを失ってしまった』ということを思い出させる記念品の、憎むべき一大コレクションなんだ!
(スキップ)
つまり、まるで強いばねを逆方向に曲げているようなもので、あるひとつの思想によって促されないかぎり、どんな簡単なことでも、おれは無理に自分を強いなければやれんし、ある一つの絶対的な観念と結びつかんかぎり、どんな人間、その他の生き物でも、死んだ物でも、無理しなければ気がつかんのだ。
おれはたった一つの願いを持って、おれの全存在、全能力は、その願いをかなえようとしてあがき、あこがれているのだ。
これだけ長い年月、これだけひたむきに、そればかりあがき求めてきたのだから、おれはいま、その願いが――しかもまもなく、――かなえられるだろうと、そうはっきり信じている。
なぜなら、その願望は、すでにおれのこの世での存在を食いほろぼしてしまったからだ。
その願望がかなうであろうという期待のなかに、おれ自身が呑みこまれてしまったからだ。――おれはこんなことを告白したからといって、別に気持が楽になったとも思わんが、しかし、おれの気持には、こんな話しでもしなければわからん面がいろいろあって、それを平常おまえたちも見せられているのだが、いくらかこれでわかったろう。
ああ、ああ、長いたたかいだなあ、早くおしまいにしたいものだなあ!」
1802年の春、ヒースクリフは四日間断食、不眠のままこの世を去る。
この物語は、その顛末をネリーが語り伝えて終わるのである。
「ヒースクリフとキャサリン・アーンショウーとの激情は、他の小説とは別の作用をする。人物の内に住むのではなく、雷雲のように彼らを囲繞し、ロックウッドが窓からさしこまれた手の夢を見る瞬間から、ヒースクリフが、同じ窓をあけたままで死んでいるところを発見される瞬間まで、この小説のいたるところにおこる爆発をひき起こすのです。
『嵐が丘』は音響に満ちています。
――暴風や烈風や、その音は言葉や思想よりも重要です。
これは偉大な小説ではありますが、読み終わって、ヒースクリフと母親キャサリンとのほかは、何も思い出せません。
二人が別れるところから物語が始まり、死後の結合によって物語を閉じます。二人が”幽霊になって出る”のも当然のことで、こういう人間に、ほかの何ができましょう?
生きているうちでさえも、彼らの愛と憎しみとは彼らを超越していたのです。」
と、フォスターは『小説の諸相』で述べているのを訳者は終わりの「解説で紹介している。
さらに、
「小説のなかに”予言”という様相を現出した作家として、ドストエフスキー、メルヴィル、D・H・ロレンスとともにエミリ・ブロンテを挙げている。」
「ただこの四人だけだと、フォースターは言うのである」と書いている。
また、その時代、ウィリアム・サマセット・モームが彼の著書『世界の十大小説』で挙げているリストは以下のものだった。。
著者 作品名
フィールディング トム・ジョーンズ
オースティン 高慢と偏見(自負と偏見)
スタンダール 赤と黒
バルザック ゴリオ爺さん
ディケンズ デイヴィッド・カパーフィールド
フロベール ボヴァリー夫人
メルヴィル 白鯨
ブロンテ 嵐が丘
ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟
トルストイ 戦争と平和
そしてモームは
「『嵐が丘』には、もちろん、重大な欠陥がいくつかある。しかし、そんなものは少しも問題にならない。
それはちょうど吹く倒された木の幹が、そこここに押し流された岩が、雪の吹き溜まりが、高山の急流が物狂おしい勢いで山腹を流れ下るのを妨げはするものの、せき止めることはできないのと同様である。『嵐が丘』は他のどのような書物にも比較することができない。」
と、この作品の暴力的魅力を指摘している。
そして、これに続いて次のようにモームの述べる『嵐が丘』の印象は、何十年を経ても、かつてわたしの脳裏に染みついて離れない内的な風景と全く同質であり、そのとき覚えた雰囲気そのものを忘れることはできない。
「もし比較するとすれば、エル・グレゴの偉大な絵の一つで、雷雲が厚く空を覆っている陰気で荒れ果てた風景の中で、丈の高い、痩せ衰えた人物が数名、いずれも姿勢をねじまげ、不気味な感情の虜となって息を殺しているところを描いた絵が一つあるだけである。
稲妻が一筋、鉛色をした空を走っているのが、場面に不可思議な恐ろしさを与えている絵が一つあるだけである。」
もう云うことなしだ。
まさにこれ以上の言葉はない。
しかし、
平らになってしまい、軽くなってしまった現在の世で、底の浅い時空に住まう現代人の感性には、どのように映るのであろうか。
作者エミリが体験した魂の世界、たとえば訳者田中は、彼女の「神的なものとの合一」、その「有頂天の痛苦」と「法悦の極みなる苦悩」といった告白から、
「そこにブレークにも比すべき強烈な宗教的体験があったことは疑えない」
という。
さて、そのブレイクだ。
この底知れない精神時空。
わたしの晩節に、なおよみがえる予言的世界への尽くせぬ憧憬。
嵐が丘は、向こう側感覚の聳えるブレイクの岩山にわたしを誘う。
Posted by ichikawa at 12時01分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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