2010年01月01日(金)
地球時代の地域主義考C [時評]
「地域主義とは、地域を切り捨てることによって中央に肥大化した明治以降の泰一国家像を解体し、リージョナルな”くに”とナショナルな国との接合をはかるひとつの社会的実験を含んでいる。それは、近代社会に学びながら、近代の限界を乗り越えるという展望も持つものといってよい」
このように1982年、すでに玉野井芳郎博士は書いている。氏は経済理論、経済史専攻の東大名誉教授であった。その著書『地域主義の思想』は日本の地域主義の元祖たる著作である。
”それは宇宙船とちがって、わが地球は生きている。”という発想のもとに論理構成がなされていて、たとえば次な一文がある。
「われわれ人間の生命にとって、水と土は不可欠である。水と土を根本的に再認識して、”生きている系”を大切にするということは、とりもなおさず、現代の産業構造にかんする従来の見方を問い直すことになる。
十九世紀以降の近代社会は、非生命系の第二次産業が出発点となって、第一次産業を人口と所得の面で縮小させる形で、工業化をつくりだしてきた。一次→未二次→三次の発達の順が”経済進化”のパターンだといわれてきた。しかし、これは実は第二次産業という工業の原理を産業全般へと一般化する図式にほかならない。
いわゆる知識集約化という名で、第三次産業の拡大を説く”脱工業化”論も、この図式の延長線上の亜種にすぎない。
このような従来の通説が持つ根本的な欠陥は第一次産業の意義を完全に欠落させていることにある。
農・林・牧畜・漁業の活動は、どれもみな”生きている”ものにかかわる人間の活動であり、そしてそれは取りも直さず人間の生命を維持・更新する産業活動にほかならない。その点で諸産業と根本的に区別される。
かくしてわれわれは、エコロジーまたはエコシステムを踏まえながら、生きている系を社会システムの根底におくことによって、非生命系のフィクションの世界に生命系の人間世界を対置させることが可能となるのである」
この玉野井先生の言葉を、よく噛みしめることが今ほど必要なことはこれまでにない。
まさに確かな先見に満ちた警告と提言の書である。
当時は画期的な指摘であり、二十一世紀初頭の今、なんとその思想は予見的である。
これまでの謝った道を引き返すべき時に氏の発想は生き返ってくる。
我が国が、政権交代期にさしかかった現在、与党となった民主党党首である鳩山総理は、政治運営の理念に地域主義を標榜しているが、前述の玉野井博士の思想を、今一度再確認して、水土の思想の原点に立ち返り、第一次産業を生命系産業として再生する政策を目指して大胆に立ち向かってほしい。
さらに、地球温暖化の到来する時代にあったて、鳩山総理が国際公約した方向性を実現するには、全世界の産業構造を生命系システムの産業構造に転換しなくてはならない。
それには前代未聞の難事が待ちかまえているだろう。しかし、拝金思想・金融資本主義の壁を突き破らなくては、それは具現化しないことも揺るがしがたい事実なのである。
それは単なる政権交代といった次元の話ではない。そこには、現行制度上の政党レベルを遙かに超えた人類史的転換を貫徹することが不可欠なのである。
世界的経済不況の渦中で、日本はデフレの加圧に押しつぶされる寸前の様相だ。
世界的に注目され、識者が関心を向けている『帝国以後』そして『デモクラシー以後』の著者である人類学者エマニュエル・ドット氏は、米ソの二大大国の崩壊を予言した人物だといわれている。
その彼は、協調的「保護主義」を提唱する。世界経済と民主主義を阻害するのは「自由貿易」というドグマだという。
氏は、アングロ・サクソン型の個人主義的な資本主義を規範とするグローバリズムを批判して、金融に過剰依存したアメリカ経済の脆弱さを祖適した。
『デモクラシー以後』の第一章は「この空虚は宗教的な空虚である」であり、そのなかに、最も重要なのは宗教的解体、との節がある。
結論の章は「保護主義、ヨーロッパ民主主義の最後のチャンス」となっている。
”イデオロギーなき政治が展開されるようになったときに起きたのは、個人的な能力の誇示、いわゆるナルシス化と個人の孤立化、アトム化だった。”
トッドは、フランスの格差拡大に関心をもって、サルコジ局面から、そのように言う。
さて、このことはそっくりそのまま日本の政治状況でもいえることだ。小泉局面でも、またその後政権でも同様に当てはまる。
その轍を踏んでならない。
新たな年が明けた。
困難と同居してこそ鋭い展望の扉は開く。
Posted by ichikawa at 09時15分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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