「シ・マムタ水守り論壇」

水惑星・地球、その青い球体の海洋に浮かぶ日本列島。
その国土を守る水、その水を守る人々。
連なる山紫水明の島々の四季。その風土に育った固有の伝統。
なかでも、水と稲を奉る年中行事の守り手である農民たち。
自然と生活のリンクする、そのリサイクル・システムを守る者たち。
自然としての国土、文化としての風土を育て守ってきたのは、伝統的な家族経営農家群。
わたしたち瑞穂のくにの歴史は、
自然と共に呼吸しながら、生業としての「農」を営む小規模零細農家によってつくられて来ている。
その自負と矜持と、そこからの展望をこれからも共有したい。

2008年06月21日(土)

ちょっといっふく [ichikawa]

 自分なかの、自分と違った自分と付き合う自分に、苛立ったり、または寛いだりする。
 
 苛立つのは夢であったり、儀礼的な付き合いでったり、等々。

 寛ぎの最たるものは「孫」に会うことだ。

 今の時間、寛ぎはBS放送の<昭和の歌姫・美空ひばり>の、戦後からの昭和の心の沁み込むような歌声である。

 そこに平たい自分がいる。そして若いころと違って素直に、天才的な感情移入に聞き惚れている自分に身を任せている。

 時代の流れに自分の歩みを重ねる人もいるだろう。人それぞれだろう。

 大衆歌謡という。だが大衆とは何か。自分ももちろん間違いなく大衆だのに。
 政治家はよく国民という。政治家こそ国民にお世話になっている典型的な国民の一員なのに。

 いやまた、いつもの自分が顔を出す。今ここではお断りだ――。

 昭和三十年代をNHKのアナウンサーは、高度成長期の明るい時代だったという。しかし私は、その三十年代を、この国の汽水域の時代であったと、以前のブログに書いた。

 この時代には、日本の、日本にとって大切なものがまだ残っており、その一方では技術革新と市場経済に依存しきった未来学的展望が現れ、そこでこの二つが交じり合った汽水海域のような、今掘り起こせば宝の埋蔵された時代だと思っている。

 そこに、ひばりの絶唱が聞こえる。

 わたしには、それは彼方からの歌声に聞こえる。

 今にして、とても安心して聞ける時を超えた情けの片々が、不可思議な響きをもって、この身にしんしんと降りかかる。

 

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2008年06月01日(日)

田植えの頃 [ichikawa]

今年の田植えがようやく終わった。

トラクターが一時トラブったが、他は順調に作業できた。

五月はいつも感ずることだが美しい。

それが、このごろいっそう目にしみるようだ。

コメ作りは、自然のなかで培われた儀式でもあった。

それが、集落コミュニティを育んできた。

農耕文化が、ケ・気枯れ・ハレの循環を形にした。

それが年中行事である。

共生の思想はその場に伝統化していた。

その日本農耕文化は消え失せた。

それでも、みずみずしいみどりの輝きは健在である。

温暖化による地球の危機は水の危機。そして食糧の危機である。


2046〜2065年のコメの収量は、1979〜2003年に比べて

近畿、四国においては5パーセントの減収となるという。

この傾向は2081〜2100年ではより顕著になり減収地域は中国、

九州へと広がると予測されている。

そして西日本を中心とする地域では、コメの収量は年々大きく変動する

との指摘もある。

上述のことは、今年の5月29日、環境省の「温暖化影響総合プロジェ

クト」が公表した研究報告の中に記されている。


さて、今年の作付けはほとんどこの里でも終わったが、これからの米価

や品質・収量はどのようになるだろうか。

しかも、市場経済至上主義や新保守主義のもとで、物価高騰を操る奇

怪な投機マネーゲームの影に、何が、誰が、潜むか。

                              

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                     晩晴

Posted by ichikawa at 18時13分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2008年05月21日(水)

二つの罪、そして<アジア的なもの> [ichikawa]

 
 いま、二つの罪がようやく明らかになってきた。

 そのひとつは、減反と農業の大規模化を推進してきた罪だ。

 もうひとつは、国土と地域共同体の存立基盤を危うくした罪だ。

 地球温暖化の進行が、その罪を摘発している。

 何よりも優先すべきは温室効果ガスの削減。

 それはもはや常識である。

 ここで不思議なのはこの事態の、よって来る原因から視点をずらしていることだ。

 対症療法的な措置は排出量取引という産業主義的な対策だが、これも本質的には減反政策と軌を一にしている。
  
 確実に滅亡への落とし穴にはまっている。

 限界集落、集落崩壊という転落のコースがわたしたちを待ちかまえている。


 吉本隆明氏は、
  今年2月の『「状況への発言」全集成』二巻の「あとがき」で

「西欧的(アメリカを含めて)段階とアフリカ的段階の中間にあって、わたしたち日本列島の住民は、アフリカ的段階を含めて、本当のグローバルとは何かを確定する好位置にある。
 単なる利潤や思想なきイデオロギー主義を超えることもできるひらかれた位置をしめている、と恥ずかしそうな小さな声でつぶやいてもいいとしよう」

と書いておられる。

 わたしたち日本列島の、人間の歴史を包含している<アジア的なもの>は、現在性のなかで果たしてどうなるであろうか。

 「アジア的農耕共同体の段階のまま数千年過ぎてきたという特徴」
が維持され得るのだろうか。

 氏は一九八二年三月の講演<アジア的ということ>のなかで
 共同体としての<アジア的なもの>、
 次に
 政治制度としての<アジア的なもの>、
 という視座で考察を展開されている。
 そこには次のような言葉がある。

    −−−−−−−
 
「しばしば誤解してしまうんですが、日本歴史として習ってきたものが、本当の日本の歴史だというふうに思い込みやすいんですが、そうではないのです。
 それは支配的な共同体のふるまい方を記述したものが歴史であり、その共同体が伝承したものが神話であります。
 ほんとうはそうではなくて、数千年来、 それほど変わらないでやってきたアジア的農耕共同体のなかの農耕共同体の在り方と、それから農耕共同体以外の、農耕以外のものにたずさわっていた人たちがどうなっているかを追究することが日本の歴史を追究する大きな部分を占めることだと言えます。歴史を再構築するにはどうしてもそこからゆくより仕方がないことがあります。
           (中略)
 アジア的共同体においては、支配共同体は被支配共同体の内部に対しては、出来るだけ手をつけないことが大きな特徴です。これはヨーロッパの共同体のあり方とか政治支配のあり方と大きく違うところだとおもいます。 
            (中略)    
 たとえば、中国共産党の国家権力が文革派から実権派にかわっても何億かいる農民のところはちっとも変わらないとぼくは確信して疑いません。そのことはアジア的共同体のおおきな特徴です。
 それは利点であるとともに、何をやられたって全然めくらだよ、という意味では欠点のおおい構造です。
 ところが逆にいいますと、村落共同体の内部だけの世界では相互扶助といいますか、隣人とは助け合いとか、隣人とは仲良くして、そこではあんまり際だった摩擦というものは起こらないし、親和性にあふれているというようなことがありうるわけなんです。それはある意味ではきわめて利点です。ヨーロッパやアメリカみたいにぎすぎすしていない。             (中略)
 この欠点と利点というものは、欠点を拡大するんじゃなくて、利点を拡大し欠点のほうは抑えてみたいなふうに、きわめてよくかんがえていかないといけないとおもいます。
 たんにアジア的共同体の遺制を絶滅してヨーロッパ化すればいいという問題でもありません。ヨーロッパ化は自然過程のままに徐々に実現されてゆくという意味に過ぎませんが、いわば精神構造のなかで残っているアジア的な構造と利点と欠点は今まで数千年来残ってきたのとおなじように、これからも長いあいだ残ってゆくだろうとおもいます。」

    −−−−−−−−−

 長い引用になったが、これは和56年に行われた講演からのものだ。

 この間、4半世紀という時間が流れている。

 が、もちろん<アジア的なもの>は何ら変わってはいない。

 だがアジア的なものをも含め、これまでにない状況にある。

 この世紀、世界は根源的な危機にさらされている。

 それも、また、間違いない事実だ。

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Posted by ichikawa at 19時48分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2008年05月14日(水)

昭和30年代という時代



 @ 汽水海域であった昭和三十年代


 いうなれば、日本が壊れる前の日本の残像があった時代である。

 この1955年から1965年にかけての時節は、淡水と海水の交わる水域のように、そこは、日本の原形と近代化の交錯する不思議に生々しい時流であった。

 そしてそこは、政治の季節が過ぎて、経済の季節に移ろうとする時代でもあった。

「天の声解散」という衆議院解散。その昭和30年の55年体制確立。
それからの10年の前半は、警察予備隊、保安隊、自衛隊と名前を変えながら、軍隊の形成される過程であった。

 やがて安保闘争のピークであった政治の季節を越えると、戦後復興期から高度成長という名の経済の季節への変化が生じた。こうして、国民所得倍増計画の時期が訪れた。
 農村には農業基本法の鐘が鳴り響き渡った。

 重労働からの解放、物質的な豊かさ、その可能性を追い求める技術革新の高波は、当時を魅了した。
 三種の神器と呼ばれた白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機が身の回りに姿を見せ始め、
技術の進歩を日常的実感として味わう時の始まりだった。

 その時代は人々に等しく新鮮な感覚を抱いて、無限の進歩という共同の幻想によって、走り出していた。

 30年後半、岩戸景気に代表される好景気とあたらしい技術のよる生活革新が、商業主義の高揚を促して、空前の人口移動を進行させていった。
 日本各地に、都市開発のブームが起こった。同時並行して国内の地域格差が始まった。

 田舎町の駄菓子屋が姿を消して、多くの川は埋め立てられ、下水道が造られていった。
 近所の店は、スーパーに変わり、次第に街並みの変化と農山村の変貌がひどくなった。

 



 A すそ野を広げ、底上げを目指す地域農政の昭和30年代


 ところで、私の生まれ育った里、そして墳墓の地は、純農の里である。
 省みて、昭和の30年代と言えば、事業でいえば新農村建設事業の時代であった。
 いわゆる有線放送で表象される季節である。

 この年代の前半は、この里に、この里なりの基本法のレールが敷かれた。
 第一次農業構造改善事業基本計画である。
 水稲の早期栽培に加え、畜産の振興が図られていった。

 米と酪農、米と養豚、米と養鶏という複合経営の推奨だった。
 水田農業の基盤の上に、有畜農業地域の構築が、当時に掲げたこの里との旗印であった。

 瑞穂の里に乳の流れるような、牧歌の里を実現することであった。
 農的生活文化、それが四万十川台地に深く根ざす、夢とロマンが里人の胸中にはあった。

 その時代、まだ選別農政ではなく、あくまで底上げ農政であった。
みなぎるものが、この里を貫流していたのであった。

 農村空間の復権と「わがさとづくり」の水脈が、そこにはあった。


       平成20年五月のさなか 窪川谷時空庵 宇久
 
 

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Posted by ichikawa at 21時25分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2008年04月30日(水)

稲の苗 [ichikawa]

 種子、芽生える。

 ルドルフ・シュタイナーは『農業講座』のなかで語っている。

 「−−植物を理解しようとする場合には、たんに植物と動物と人間の

  みを考察するのではなく、宇宙全体を考察対象に引き入れなくては

  なりません。

  なぜかといいますと、生命的なもののすべては宇宙の総体から生じ

  てくるのであって、けっして地球が私たちに与えているものだけか

  ら生じるものではないからです。

  自然はひとつの全体であって、ありとあらゆる方向から諸々の力が

  働きかけてきます。−−」

  「−−今日の学問は、小さな皿を作ってその上に標本を置き、それ

   を丁寧に仕分けして、その中をのぞきこんでいるのです。

   四方を囲いこんで、そこに働きかけてくる恐れのあるものを、す

   べて遮断してしまうのです。

   これが顕微鏡といわれているものです。−−」


  「このようにしてしだいに多かれ少なかれ、自分自身が顕微鏡にな

   り代わっていくのです。

   しかももし私たちが大宇宙にいたる道を見つけることができるな

   らば、そのときにはふたたび自然について、またそれ以外のさま

   ざまな事柄について、いくらかでも理解することができるように

   なるでしょう」

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Posted by ichikawa at 16時15分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 1 )

2008年04月20日(日)

予見と後追いー食糧危機ー [ichikawa]

 国土の荒廃・食糧不足・生態系の貧化など、これまで様々にいつも言ってきたことたことだ。

 いま、穀類高騰に対する暴動が起きている。
 これは貧困層を問わず、さらに各国各層に及ぶだろう。

 我が国でも、この四月、生活必需品は次々に相次ぐ値上がりラッシュに見舞われている。
 政府の行政失敗のツケが国民の負担を重くしているのに加え、である。

 原油高に暗躍する国際的マネー業界の投機資金の商品先物市場への流入、グローバルな温暖化防止対策を金儲けにしょうとする動き。
 そのひとつとしてのバイオ燃料向け需要、インド・中国などの需要の増大などが食糧価格の高騰に拍車をかけている。

 しかし、穀類の世界的な不足はその以前から自明であった。

 日本でもっとも顕著であるが、世界的な第一次産業を踏みにじる市場経済主義政策。
 そのための農地の耕作放棄現象や就業人口の激減化。

 ところで
 地球温暖化現象の必然性と食料危機の必然性、さらに自然生態系劣化の必然性は、すべてその元凶はひとつである。

 その根元的病巣をいかに取り除くかについては、明確な処方箋ができていない。
 今になってもまだ出来ていないのが重大な危険を孕むのだ。

 予見のむなしさが身にしみる。

 正直疲れ果てた。

 警告を批判することもなく、無視されてきた。

 そのような感を抱くのは、たぶん多いと思う。

 農政でいえば減反政策である。
 私はこれを反人間的政策として批判してきた。
 自給と自治は両輪であることも唱えてきた。

 そのような声は政治の中ではか細く、広がらず、依然たる手法のみがまかり通り、今日の結果を招来してしまった。

 商業主義的政策は、ここに来て自ら墓穴を掘っているのである。

 しかも、現下、ジャーナルもなんと後追いであることか。 


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           去年の花あらず

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   四月の息吹、花は肌に染む

Posted by ichikawa at 12時10分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2008年03月09日(日)

<米と木の国>復活へ [ichikawa]

  「米と木の国」

 この世紀になり、少しは少し明かりが見えてきた感じもする。

 それは、歴史の循環によるものだろう。

 歴史が大きく一周りしているかに見える。

 こんな言葉がある。
 「ーー現代の先端技術は後戻りのきかないやりかたで、古い仕事の分野に失業を作り出したけど、−−−(中略)−−−人間は世界を十分変貌させ開発したから、今度はそろそろ世界を理解する時期なのね」

 これは現代フランス思想界で、百科全書的哲学者と呼ばれているミッ

シェル・セールの著書『天使の伝説−現代の神話−』のなかでピアとい

う女性の語る言葉である。

 確かに非可逆性の商業主義的巨大科学技術が、地球に与えたダメージ

は余りに大きい。

 だが、最近ようやくそれに対する理解と自省が始まったかに見える。

 地球温暖化の災禍に世界は気づき始めた動きである。

 わたしたちは、そこでいったい何ができるのか。

 いま何をどうのうになすべきなのか。


 「−−−なぜ働くの? 自然の所与を悪くするためかしら。精錬工場を建てると、労働者を酷使し、環境を破壊し、危機を増大させ、収入の不平等を激化し、富を増やすが、その結果貧乏人を飢えさせたけど、ミクロの有機体は人間よりも早く、より経済的に、より巧みに精錬するのよ」とは、再びピアの言葉である。 
 
 ミクロの有機体で、私の連想するのは、山紫水明の国土だ。

 棚田に稲穂が豊かに波打ち、山々には木々がすくすくと生い立つ。

 そのようにして、はじめて日本の国土がようやく健康を回復する。

 けれども、この国に、丹精を込めると言うことがなくなって久しい。

 機械化・省力化・少子化など、近代化の落とし子たちのためだ。

 人と自然の呼吸。

 そこに稲田が生気を取り戻し、人の手の行き届いた山林に材は育つ。

 そこにこそ、第一自然と共に第二自然の生態系は健全性をを保ち得

る。

 宇宙摂理にかなうのは、そのような微細で精妙な有機体に満ちる場」

である。かって存在した、この当たり前の姿なのだ。  

 もともと木は、和風の象徴であり、木の文化が日本であった。

 歴史的に日本の国は、瑞穂の国という別名があった。
 
 それは、稲の実る水のきれいな国土のことであり、豊かな水田文化の

国を意味した。だけどこうして「した」「していた」と、過去形でしか

言えないのは寂しい限りだ。


 先日の、底冷えにする今年の啓蟄の日だった。

 トラクターで田圃を冬耕しながら、この国は「不思議の国」だと、ふ

と思った。大豆やトウモロコシなど、国際的な不足が深刻になる一方

で、わが国の食料自給率は、先進国の中で最低だという。

 どうしてこうなったのか。では、なぜ不足農産物の価格支持政策をし

ないのか。
 
 東北農政局作成の「米の作りすぎは、もったいない。米の過剰作付けは、資源のムダづかい」という「MOTTAINAI」ポスターが今の農政の現実は代表している。

 不思議なほど、厚かましく、また何も理解していない。

 資源のムダづかいは、そのポスターの方だ。

 そのレベルの行政でしかない、その当局に、物言うも唇寒しである。

 食品の偽装の問題にしても、根っこにあるのは一つだ。だが、決して

そのことには目を注がない。むしろそれを避けているのか。その種の目

が無いのか。行政当局も、議員も、鋭く誰も、その本質に迫らないかの

ように感ずるのだ。


 議員で思い出したのは、矢祭町の議会だ。議員報酬を日当制にする例

のことである。私はわたしたちの自治体も、全国の自治体もも、国の諸

機関も、その精神と手段をもをよく見習うべきだと強く思っている。


 近頃、NHKの放送は、権力擦り寄りの感が著しい。出だしは、そう

は見せないが、節度をわきまえないPR主義が紛らわしい。そのあげく

は、現状打破でなく、追認が多くて後には何もない。


 と、まあ、いろいろと走馬燈のように浮かぶ作業であった。

 いつも決して私の脳裡から離れないのは、「ふしぎの国」だ。

 本当の郷土や国の姿の、存在の仕方・あり方のようだ。


 ともあれ、ようやく見えるほの明かり。

 地球生態系的クライスともいうべき現在性の「場」にあって、その故

にこその光が、かすかに見えてきたようだ。

 この水の惑星の生態系に差し込む曙光を大切にできる人間の今世紀で

ありたい。

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Posted by ichikawa at 17時03分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

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